大判例

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東京地方裁判所 昭和48年(特わ)914号 判決

本籍 《省略》

住居 《省略》

会社役員 戸栗亨

大正一五年一月七日生

右被告人に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は検察官五十嵐紀男、弁護人井本台吉、同浅見敏夫出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役二年および罰金六〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人小堀亘、同石橋昇、同坂場正信、同川上日貞雄こと崔基南、同新井廣八、同上原敏弥、同鈴木正己、同和田啓一、同畔田達男、同前田立雄に支給した分は被告人の負担とする。

本件公訴事実中昭和四五年分所得税逋脱の点(起訴状記載の公訴事実中第一の分)については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、株式会社富士工務店の代表取締役及び三和実業株式会社の取締役を兼務するものであるが、自己の所得税を免れようと企て、

第一  昭和四六年分において株式の配当所得や絵画の譲渡所得等のあることを知悉し、同年分の実際総所得金額が二億一一九七万五四六一円であった(別紙1修正損益計算書参照)のにかかわらず、昭和四七年三月一五日、東京都豊島区西池袋三丁目三三番二二号所在の所轄豊島税務署において、同税務署長に対し、右配当所得の一部及び譲渡所得等を除外してその所得金額が二億〇六五三万一九八四円で、これに対する所得税額は右所得に対する源泉徴収税額を控除すると、三二四三万九九〇〇円である旨の、自己の所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額三五二八万四一〇〇円と右申告税額との差額二八四万四二〇〇円(別紙3ほ脱税額計算書参照)を免れ

第二  前示業務のかたわら、個人で継続して有価証券を売買するなどして多額の所得を得ていながら、右有価証券の売買につき他人の取引であるもののように仮装するなどして所得を秘匿したうえ、昭和四七年分の実際総所得金額が六億六二二七万〇〇七五円であった(別紙2修正損益計算書参照)のにかかわらず、昭和四八年三月一五日、同都渋谷区宇田川町一番三号所在の所轄渋谷税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が五〇八六万三九四〇円で、これに対する所得税額は右所得に対する源泉徴収税額を控除すると、一三四四万五一〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額四億六八六八万三七〇〇円と右申告税額との差額四億五五二三万八六〇〇円(別紙4ほ脱税額計算書参照)を免れ

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(争点に対する判断等)

第一本件の争点

本件公訴事実によれば、被告人は自己の所得税を免れようと企て、有価証券の売買について他人の取引であるもののように仮装するなどして所得を秘匿したうえ、昭和四五年分ないし同四七年分の各所得税を逋脱したものであるというのである。そしてその額は、

昭和四五年分が

(イ)  実際総所得金額 六四七八万二九八三円

(ロ)  右に対する正規の所得税額(源泉徴収税控除後の金額、以下同じ。) 三一一二万七三〇〇円

(ハ)  申告所得金額 一三七二万六九二六円

(ニ)  右に対する所得税額(源泉徴収税控除後の金額、以下同じ。) 二〇一万二八〇〇円

(ホ)  逋脱所得金額 五一〇五万六〇五七円

(内訳)

(雑所得) 三七九三万五二四九円

(配当所得)一三一二万〇八〇八円

(ヘ) 逋脱税額 二九一一万四五〇〇円

同四六年分が

(イ)  実際総所得金額 一三億五二三七万六四七四円

(ロ)  右に対する正規の所得税額 八億八九四二万五七〇〇円

(ハ)  申告所得金額 二億〇六五三万一九八四円

(ニ)  右に対する所得税額 三二四三万九九〇〇円

(ホ)  逋脱所得金額 一一億四五八四万四四九〇円

(内訳)

(雑所得) 一一億四一六六万五八六九円

(配当所得) 一九七万八六二一円

(譲渡所得) 二二〇万〇〇〇〇円

(ヘ) 逋脱税額 八億五六九八万五八〇〇円

同四七年分が

(イ)  実際総所得金額 六億六二二七万〇〇七五円

(ロ)  右に対する正規の所得税額 四億六八七八万〇二〇〇円

(ハ)  申告所得金額 五〇七六万三九四〇円

(ニ)  右に対する所得税額 一三四四万五一〇〇円

(ホ)逋脱所得金額 六億一一六二万二三八五円

(内訳)

(雑所得) 六億〇九〇六万九五八六円

(配当所得) 二四三万六五四九円

(ヘ) 逋脱税額 四億五五三三万五一〇〇円

というのであるが、右のうち昭和四五年分については後記説示のとおり犯罪の証明がないときにあたるので被告人に対し無罪の言渡をすることとなる。更に昭和四六年分についても、当裁判所の認定した前示罪となるべき事実中の各金額とは大きく異っている。かかる差異を生じた原因も、要するに右差額分については、後記のとおり犯罪の証明が十分でないものと認めたためにほかならない。

因みに、本件の争点とするところは、先ず各年分において被告人に株式の現物及び信用取引による売買益にかかる雑所得が存在するか否かが中心であり、更に、右株式売買において取得したとされる株式の配当収入の有無をめぐって争われる等、本件は、各公訴事実における逋脱所得と主張されたその大部分が株式売買に基因する点に最大の特色がある。

ところで、弁護人は、右各年分の株式売買益(雑所得)について、各年分中の株式売買回数が課税要件の形式的基準である五〇回に達していないとしてその売買回数を争い、また被告人は所得税法上の右課税要件を認識していなかったとしてその犯意をも否認するとともに、更に個別的に昭和四四年以前に取得した株式について、その購入のための借入金に対する支払利子を取得価額(原価)に算入すべきであると主張し、更に昭和四六年中の大東証券株式会社(以下大東証券(株)という。他の証券会社も同じ)における株式取引は被告人の行った売買ではないとしてその帰属を争っている。また、被告人には偽りその他の不正行為はなかったものであり、更に昭和四六年分の絵画売却による譲渡所得も存在しない旨主張する。そこで以下各争点に即し判断することとする。

第二有価証券の譲渡に対する課税の立法の経緯等

一  序説

前示のとおり本件の主たる事実は株式売買益にかかる雑所得の存否であるが、右株式売買益についての課税要件を定めた所得税法(以下「法」ということがある。)は、有価証券の譲渡による所得のうち「継続して有価証券を売買することによる所得として政令で定めるもの」など同法第九条第一項第一一号イないしニに列記する所得以外のものに対しては課税しないことと規定しており、従って有価証券の譲渡による所得は原則として非課税とされている。

これを受けて、同法施行令(以下「令」ということがある。)第二六条第一項は、例外的に課税の対象となる有価証券の継続的取引から生ずる所得の範囲について「有価証券の売買を行なう者の最近における有価証券の売買の回数、数量又は金額、その売買についての取引の種類及び資金の調達の方法、その売買のための施設その他の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする。」と定め、その実質的基準を明らかにするとともに、同条第二項は、前項に規定する者のその年中の取引の回数が五〇回以上であり、かつ、その年中の売買をした株数又は口数の合計が二〇万以上である場合には、同条第一項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は同項の規定に該当する所得とする旨の形式的基準を定めている。

ところで検察官は、元来、有価証券の譲渡による所得を非課税とすることについては合理的理由に乏しいと非難するとともに、本件においては、被告人の一連の株式売買行為は形式的基準にしたがった課税対象となるとともに、更に、本則である実質的基準にも該当することも証拠上明白な事案であると強調している。

これに対し弁護人は、本件に適用される課税要件の形式的基準である売買回数の認定の問題解明に当たっては、昭和二八年に行なわれた所得税法改正にまで遡って考慮しなければならないものであることを強調し、要旨次のように述べる。すなわち、特に右改正に当り有価証券の譲渡所得を所得税法上非課税とする原則を打出し、租税特別措置法による臨時的処理の扱いにしなかったことを強く指摘したいし、その際有価証券取引税が新設され、右は譲渡者に対し損益に関係なくこれに課税することとされており、まさに譲渡所得税に代る役割を果しているのである。更に、売買回数の計算方法も殆んど国税庁長官通達によって実務上行なわれ、しかも右通達も本件が発生する迄は証券業界に知悉されておらず、そのため通達内容たる売買回数計算のための「注文伝票総括表」の活用も実際には行なわれていなかった。また、過去において右通達は、六ヶ月を超えて保有し名義書換え済の株式の譲渡については、いわゆる資産株として非課税扱いとしていたこともある。加えて株式売買益に対する課税自体も本件被告人に対する課税が最初であって、それ迄は何等実施されておらず、当該法条は全く死文化された法律であるから、かゝる条文を適用することは憲法第三一条に違反する、このように主張する。

そこで当裁判所は、根拠法条である所得税法上の規定の立法の沿革を先ず明らかにすることが、争点解明のための前提として必要であると考えるので、「有価証券の譲渡に対する課税の立法経緯」を最初に明らかにすることとする。

二  有価証券の譲渡に対する課税の立法の変遷

(1)  昭和二二年における税法改正以前の所得税法(昭和一五年法律第二四号)は、株式の譲渡による所得については、「営利ヲ目的トスル継続的行為ヨリ生ジタル所得ニ該当スルモノ」としての〈事業所得〉と、〈清算取引所得〉に対してのみ、課税されるものとする旨規定していた。

(2)  しかるに、昭和二二年三月の改正による所得税法(昭和二二年法律第二七号)においては、所得税の課税標準として第九条第七号により「……株式その他命令で定める資産の譲渡に因る所得(前号に規定する所得及び営利を目的とする継続的行為に因り生じた所得を除く。以下譲渡所得という。)……」と規定して、株式の譲渡による所得につき一般の〈譲渡所得〉として課税することを本則とし、すべて株式売買益に対しては課税されることとなった。

(3)  ところが、昭和二八年法第一七三号による改正により、証券市場の健全な育成と資本蓄積に資することを目的として、

「(非課税所得)

第六条 左に掲げる所得については、所得税を課さない。……

五 第九条第一項第八号(譲渡所得)に規定する所得のうち、有価証券(有価証券取引税法第二条に規定する有価証券その他命令で定めるこれに準ずるものをいう。以下同じ。)及び生活に通常必要な家具、什器、衣服その他の資産で命令で定めるものの譲渡に因るもの。」

と規定して、株式等の譲渡による所得のうち〈譲渡所得〉に該当するものについては、従前の全面課税の建前を改め、原則として非課税とすることとした。同時に、その見返りとして、有価証券取引税法が新たに制定され、有価証券の取引に際しては、その取引による売買損益の如何に関わりなく一律に、一定の税率による「取引税」を課することとし、従前株式等の譲渡による所得に対する課税につき、ともすれば論議を招いていた課税物件についての調査の困難及びこれに起因する課税の不公正の批判に対処できるようになった。

ただ、この場合においても、株式等の譲渡による所得のうち、「営利を目的とする継続的行為に因り生じた所得」は、法第九条第一項第八号所定の〈譲渡所得〉に該当しないものとされたため、これらの取引が事業としてなされている場合にはそれによる所得を〈事業所得〉とし、また、これらの取引が事業と認められる程度に達していない場合にはそれによる所得を〈雑所得〉として、いずれも課税対象になるものと解釈されていた。そして、株式等の譲渡による所得が非課税所得たる〈譲渡所得〉となるか、課税対象となる〈事業所得〉ないし〈雑所得〉となるかの判定基準に関しては、課税実務上も、「有価証券の取引が継続的行為に属する取引であるかどうかは、当該譲渡にかかる有価証券の譲渡時までの所有期間、その取引をする者の取引回数、取引株数、取引金額、当該取引の種類、その取引をする者の職業、取引のための人的物的設備の有無及びその程度、過去における取引の状況その他諸般の事情を勘案して判定するものとすること。」(国税庁長官通達昭二八直所一―八八②)、「1、譲渡の時まで株主名簿に登載されて株主として相当期間(おおむね六ヵ月以上)引き続き所有している有価証券等投資の目的で所有していたと認められる有価証券にかかる譲渡については、継続的取引以外の取引とする。2、1に該当する取引を除きその年中における取引が、回数において五〇回以上であり、且つ、取引総株数において二万五千株以上である者がする取引は継続的行為たる取引とする。」(昭二八直所五―三四①)として取扱われていたのである。

(4)  その後、前記非課税措置を利用して不当に課税を免れる者が現われるようになったため、昭和三六年三月三一日法律第三五号をもって大幅な法改正がなされ、有価証券の買占めによる所得と、事業譲渡類似の有価証券の譲渡による所得とを新たに有価証券の譲渡による所得の非課税の対象外として課税を行なうこととするとともに、従前行政庁の通達に基づく課税実務上の取扱であるに過ぎなかった継続的取引による所得の判断基準を法文上明確化するとともに、その内容も「年五〇回以上、かつ、二〇万株以上」と改めるに至った。

ところで、昭和三六年の税法改正においては、非課税とされる有価証券の譲渡について、「第九条第一項第八号(譲渡所得)に規定する所得のうち」という既存の文言が削除されたが、課税標準に関する第九条第一項第八号の〈譲渡所得〉については、資産の譲渡に因る所得から「営利を目的とする継続的行為に因り生じた所得を除く」という括弧書きの文言は、何等改訂されることなく存置されたのである。

(5)  次いで所得税法は、昭和四〇年三月三一日法律第三三号をもって、また、同法施行令は、同日政令第九六号をもって、それぞれ改正されたが、有価証券の譲渡の非課税所得については、新法第九条第一項第一一号が旧法第六条第六号を、また新施行令第二六条が旧施行規則第四条の三を引継いだものの、その内容については殆んど改正されなかった(その後昭和五四年に至り租税特別措置法第三七条の五が新設され、同一銘柄の株式につき年間二〇万株の売買が課税の対象となるなど、特例法の形式によって課税要件が強化され現在にいたっている)。

三  所得税法第九条第一項第一一号イ「継続して有価証券を売買することによる所得」の意義

叙上のとおり、昭和三六年の改正において、非課税とされる有価証券の譲渡について「第九条第一項第八号(譲渡所得)に規定する所得のうち」という文言が削除されたこと、有価証券の譲渡による所得の非課税規定から「継続して有価証券を売買することによる所得」等が除外され課税対象とされたことにより、法第九条第一項第一一号の「有価証券の譲渡による所得」には、〈譲渡所得〉となり得る有価証券の譲渡による所得とともに、譲渡所得となり得ない有価証券の譲渡による所得との両者を含むと解されるようになった。それとともに、譲渡所得から除外されている「営利を目的として継続的に行われる資産の譲渡による所得」と、有価証券の譲渡による所得の非課税規定から除外されている「継続して有価証券を売買することによる所得」とは、文言の形式からみてもその意味は異なるものではないと解することができるので、従って、法第九条第一項第一一号イの「継続して有価証券を売買することによる所得」の文言のうちには、〈事業所得〉となる有価証券の譲渡による所得とともに、〈雑所得〉として課税されるべき有価証券の譲渡による所得の双方が包含されていると解するのが相当である。

しかして、法第九条第一項第一一号イの委任を受けた令第二六条は、前述の如く右「継続的行為と認められる取引から生じた所得」の判定基準として第一項に実質的基準を定め、第二項において形式的基準を定めている。

そこで有価証券の売買によって得られた所得に対する課税の有無の判断に際しては、先ず、実質的基準としての第一項に当たるか否かにつき、同項に規定する取引に関する状況がどうであるかによって判定することとなるのであるが、第二項は五十回以上の売買回数でかつ、売買株数(口数)の合計が二十万株以上という形式的基準に該当する限り、右取引に関する状況の有無についての検討を何等要せずに課税の対象としての「営利を目的とした継続的行為」と認められることとなるとして課税要件を明確化している。

従って、第二項の形式的基準に該当しない場合においても、第一項に規定する「状況」に照らし実質的基準に当たるような場合には「営利を目的とした継続的行為」となり、課税の対象となるものと解される。

四  弁護人等の主張に対する判断

1  憲法違反の主張について

(一) 弁護人は、有価証券譲渡益に対する課税を規定する現行所得税法施行令第二六条第二項はいわゆる「休眠法律」であって死文化されており、株式売買益については、これ迄長年にわたり申告しないことが慣例とされて国税当局もこれを容認していたものであるから、本件においていまさら同条項を適用して被告人を処罰するのは憲法第三一条に違反する旨主張する。

しかしながら、本件公訴提起のなされた昭和四八年六月二〇日以前においても、同令の同条項に基づき、本件において問題となった昭和四五年分以前の昭和四〇年分から昭和四二年分にかけて「有価証券の継続的取引から生じた所得」を逋脱したものとして摘発され公訴提起された事案の存すること(たとえば、横浜地裁昭和四四年(わ)第二二四号、第八九七号所得税法違反事件については、昭和四一年及び同四二年分の逋脱所得に対してのものであって、昭和五〇年二月二七日有罪判決の言渡しがなされており、また、和歌山地裁昭和四四年(わ)第一二八号所得税法違反事件についても、昭和四一年、同四二年分の逋脱所得に対し昭和四九年五月一五日有罪判決の言渡しがなされている。)に鑑みても、同令の同条項が死文化しているものとは認めることができない。

のみならず、申告納税制度の下にあっては、課税所得となるべき譲渡益のあるときは、納税者自ら進んでこれを申告すべき筋合のものであるから、仮に所論の如く徴税当局側に怠慢のそしりを甘受すべき点があるものとしても、一方的にこれを論難し、法令の死文化を云々するが如きは、自らの非を顧みず他を責めるに等しく、到底採用の限りでない。

(二) 次に、弁護人は、有価証券譲渡益は原則として非課税とされているのであって(所得税法第九条第一項第一一号)、継続的売買または買集めによる所得が雑所得として課税されるとか(通達三五―二項)、営利を目的とした継続的行為と認められる場合は雑所得であるから(同法施行令第二六条)課税されるとかいっても、一般国民には仲々納得が行かないし、そもそも〈雑所得〉の概念自体も甚だ不明瞭であり、かかる不明確な概念を以って国民を処罰すること自体刑事罰の内容を不安定にするものであって、いわゆる罪刑法定主義に反し、違憲となる旨主張する。

しかし、法第三五条所定の〈雑所得〉とは、法文自体からも明白であるように、〈利子所得〉ないし〈一時所得〉等の各所得分類のいずれにも該当しない所得をいうと解され、他の種類の所得のように統一的な特性のないことは所論指摘のとおりであるが、しかし少なくとも、それが所得税法の予定する所得であれば、課税の対象となり得ることを規定したものと解せられる。

所得税法は、それ自体において所得の定義概念を何等規定してはいないが、それは、人間が通常人として社会経済生活を営むうえにおいて、そのことは当然に社会通念上自明のものとして了知しているものとされるからであって、また、了知している程度のものでなければ課税の対象としてはならないことを意味しているからであると解することができる。

そもそも所得税法は、経済的な利得を対象とするものであるから、究極的には実現せられた収支によってもたらされる所得に対し課税するのが基本原則であり、それは一定期間内に生じた経済的利得に対し担税力に応じ公平に税負担を分配させることを目的とするものであるから、いやしくも、担税力を認め得る程度にその利得を自己のために享受している事実の存する限り、右の意味の利得が実現されたものとして税法上の所得を構成すると解することができるのである。

而して、所得税法がかかる意味の所得につき、これを一〇種類に分類した主な理由は、その源泉によっては性質上担税力を異にすると考えられるので、従って、右の担税力に即した公平な課税を行なうためには、右の所得をその性質に応じて分類し、所得の種類ごとにその担税力に即した計算方法と課税方法を定める必要があるからである。

そうすると、それが或る一定の範囲に限定するまでの特性(属性)をもつ迄には至らないが、しかし前述した意味の所得であることが通常一般人の意識に生じ得る場合のあることは、人間として社会経済生活を営むうえにおいて平常、充分予期されるところである。しかしながら、これを強いて一定の種類に分類するとすれば、技術的に徒らに煩瑣に流れ、却って負担の公平に反する結果を生ずる虞れなしとしない。

そうだからといって、これを課税の対象外に置くことは、公平な負担を目的とする所得税法の趣旨に背反することになろう。

そこで法は、これを包括的に〈雑所得〉として規定したものであって、所得税法の立法趣旨において叙上説示のものと解し得られる以上は、〈雑所得〉の規定自体、その概念及び課税範囲が自ら特定されるのであるから、何等罪刑法定主義に背反せず、憲法に違反するものではない。この点の論旨もまた理由なきに帰する。

2  実質的基準に該当する旨の主張について

ところで検察官は、本件公訴事実において被告人が「営利の目的で継続して有価証券の売買を行なっていた者」であるとし、被告人のなした株式取引による所得は、令第二六条第二項の形式的基準にしたがって課税対象となる旨主張し立証に努めているが、それとともに本件は、本則である同第一項の実質的基準にも該当する旨主張する。

そこで検討するに、本件は被告人の行なった取引の回数、数量が別途認定のとおりであること(各別表参照)、信用取引をも行なっていること、及び手持資金の豊富なこと、売買手口も一銘柄当たり多量であり、かつ金額も多額であることをみれば、営利性、反覆継続性はこれを認め得るが、しかしながら、右株式取引のための人的、物的設備は何等設けていないこと、被告人は自己の経営する会社の代表取締役としてその業務に専念しており、右取引も、殆んど早朝電話により証券会社に注文するか、或いは証券会社外務員の来訪を受けて注文する程度にとどまり、必要経費も、殆んど右株式取引の売買に直接要した費用のみに限られ、生計の資も、専ら自己の経営する会社の給与から得ていることなどの事実が認められ、右諸般の状況をみれば、一般社会通念に照らすと、本件株式取引によって得られた所得は、未だもって令第二六条第一項の実質的基準には該当しないものといわざるを得ない。

そこで本件は形式的基準に該当するか否かが問題となるので、この点につき後記のとおり検討することとする。

3  資産株回数除外の主張について

次に、弁護人は、本件株式取引のうち殖産住宅株のように長期にわたる保有にかかるいわゆる「資産株」の取引については、そもそも投機行為によるものではないから、従前の課税実務において六ヶ月以上も保有していたものは継続的行為たる取引から除外されていたこと(前記二の3に引用の通達参照。)に徴しても、これを前記形式的基準における回数の算定から除外すべきである旨主張する。

確かに、本件取引のうち殖産住宅株については被告人において六ヶ月以上引き続き保有していたものと認められ、その意味においては、指摘されるような投機ではなくして投資の目的で所有していたことは所論のとおりである。しかしながら、昭和三六年改正以後の所得税法は、「継続的行為による取引」として売買回数と株数を規定するにとどまり、かつ、令第二六条第三項以下において継続的売買に含まれない株式につき特に限定して規定されている文言中には、右の意味の株式(いわゆる資産株)を除外する旨の規定の何ら存しないことに徴しても、同条は、当該株式の保有期間ないし投資の目的の有無は何等考慮しないものと解するのが相当である。

前掲課税実務における取扱通達は、現行法の解釈には妥当しないものといわねばならない(因に、右通達は昭和三六年の法改正に伴い廃止されている)。

第三大東証券における昭和四六年二月から同四七年二月一日までの被告人名義の株式売買が小堀亘に帰属することについて

一  大東証券における被告人名義でなされた株式売買の経緯

前掲「証拠の標目」記載の各証拠を総合すれば、次の事実が認められる。

1  被告人の経歴、家族関係、株式取引歴

(一) 被告人は大正一五年一月一七日山梨県に生れ、早稲田大学専門部建築科を中途退学して兵役に服し、復員後は製材業などに従事していたが、昭和二七年上京し、東京都豊島区内において戸栗工務店を開業し殖産住宅相互株式会社(以下「殖産住宅(株)」という。他の会社名についても、「株式会社」の表示を「(株)」と略記することがある。)の下請業者となり、昭和三一年六月(株)戸栗工務店を設立してその代表取締役となった。その後、昭和三七年に新たに(株)富士工務店を設立してその代表取締役となり、同会社に前記(株)戸栗工務店の業務を移し、戸栗工務店の方は三和実業(株)と社名を変更して妻A子を代表取締役となし、被告人は取締役として不動産の管理等の業務を行なっていた。なお、被告人には妻A子との間に長女B子、次女C子、長男Dがいる。

(二) 被告人は昭和二四年頃から株式取引に興味を抱き、株式の売買を行なうようになり、昭和三四―五年頃からは、当時、同郷で親交のあった染谷徳重(以下「染谷」という。)が嘱託をしていた平原証券(株)に出資し、同証券を介して年間約一〇回位の株式取引を行ない、昭和四一年頃には山一証券(株)において同様株式の売買を行なっていた。昭和四三年頃に至り、殖産住宅(株)の元役員や下請業者から同会社の株式を買い集めるとともに、昭和四五年三月初旬、前記染谷が立花証券(株)の嘱託となるや、同証券会社による株式売買を行なうようになったが、更に、同郷の証券外務員早稲栗英明の勤務する岡三証券(株)を介しても株式売買を行ない、昭和四五年六月頃からは信用取引をも開始し、一回の取引も数万株単位とする等本格的に株式取引を行なうようになった。

2  被告人が小堀亘と交際するようになった経緯

(一) 被告人において昭和四五年三月三日頃、かねて取引銀行であった三和銀行東京支店の被告人名義の普通預金口座から、一九〇〇万円を新たに開設した富士銀行兜町支店(以下「富士/兜町」と略称する。)の被告人名義の普通預金口座に送金し同金額を預金させたところ、当時、同支店に企画副長として勤務していた銀行員小堀亘(以下「小堀」という。)が、池袋に在った(株)富士工務店事務所に右預金口座開設の謝礼をかねて挨拶のため被告人を訪れたのが小堀との初対面であった。その際、小堀が被告人に対し、今後、富士銀行との取引方を申し入れたので、被告人は銀行が融資をしてくれれば取引に応じてもよい旨返答し、その頃、被告人が立花証券(株)において買付けた株式代金の支払に充当するための三〇〇〇万円の融資方を申入れた。これに対し小堀はこれを了承して数日後、同額の融資をなしたので、被告人はあらためて小堀の同銀行内における手腕、力量を高く評価し同人を信用するようになった。

(二) 昭和四五年五月、小堀は富士銀行馬喰町支店(以下「富士/馬喰町」と略称する。)に転勤になったが、被告人は同人及び三和実業(株)にかかるこれ迄の取引銀行預金口座から、預金を右支店に移すとともに、小堀に依頼し数回にわたり、同銀行同支店から、その頃立花証券(株)の染谷を介して行なっていた株式売買取引の資金や、殖産住宅株の株式買取代金の資金手当のための融資を受けていた。

ところで被告人は、小堀と知り合うようになってから、同人が富士銀行の岩佐頭取の子息と学友であったことから同頭取の口ききで入行したことや、同人の妻が東京ガスの安西社長の縁戚であって、同社長とは親しく交際している旨を同人から聞かされ、同人のいわゆる毛並の良さに惹かれ、将来同銀行の幹部となるエリート行員と評価するようになった。同年五月頃に同人が馬喰町支店に転勤後も公私にわたり一層接触を深め、家族ぐるみ親密な交際をするなどし、更に、同年秋頃には、被告人個人及び三和実業(株)の預金をも右支店に移管し、そのうえ、普通預金通帳や、事前にサインしていた預金払戻伝票をもまとめて小堀に預けて置き、電話一本で何時でも直ぐ同口座から預金を引き出せるようにする等、同人を深く信頼していた。

更に、被告人は小堀から金員の借用を申込まれるや、昭和四五年から同四六年にかけて合計八二〇万円を用立て、一一〇万円の利息を受取ったりしていた。

3  被告人が小堀から株式取引をするよう誘われた状況

(一) 被告人は小堀と深く親交をもつようになった昭和四五年秋頃に、小堀からしきりに商品取引をやってみてはどうかと勧められ、数回にわたり小堀から明治物産の大森外務員を伴って(株)富士工務店の事務所に来訪を受けたり、向島の料亭桜茶屋で接待を受けた。しかし被告人は予てから商品取引には危険をともなうものと危惧していたところからそれには応じなかった。

(二) 昭和四六年一月一九日頃、後記認定のとおり、被告人は国際興業(株)の社主小佐野賢治に対し、かねて買集めていた殖産住宅(株)の株式合計約二五一万株を約二四億円で売却し、その代金を小堀が勤務していた前記富士/馬喰町に預金し、内約一〇億円は通知預金としていた。

被告人は、その頃、(株)富士工務店へ出勤のため乗車していた自動車の中で同乗の小堀から「商品取引をやらないのなら、株をやってみないか、一つ俺にまかせてくれないか」と懇願された。しかし被告人は、既に自らも立花証券(株)において外務員の前記染谷を通じて株式売買をやっていたので「お前、銀行員のくせに、株なんかやれるはずないじゃないか」と云って断った。

4  小堀が被告人名義で株式取引を開始した前後の状況

(一) 小堀は、昭和四四年一一月頃から、大東証券(株)において奥村有功名義を用いて自らの計算において株式取引を行なっていた。しかし右取引の原資は、小堀の義父の遺産運用ということであったが、取引量も少なく大東証券(株)としては小口の取引先の部類に属していた。

小堀は、被告人と交際するようになってから、被告人が三菱地所株一〇〇万株を所有し、立花証券(株)に保護預りとしていること、その内五〇万株が被告人の富士銀行同支店からの五〇〇〇万円の融資の担保として昭和四五年八月三日同行に差入れられていること、東京海上株一〇万株も同様預託されていることを承知していたところ、翌四六年一月に入って前述のように被告人が小佐野賢治に対し殖産住宅株の持株を譲渡して莫大な利益を挙げ、銀行借入金も返済し売却代金のうち一〇億円を通知預金にして貰ったことから、右有価証券担保となっていた三菱地所株が実質的にはいわゆるカラ担保となっていることに目をつけ、同年一月下旬頃、右株式を売却し、その代金を以て爾後株式売買を行なうための資金としようと考えた。そこで、その頃、前述したように被告人に対し株をやってみないかと持ちかけて断わられたものであるが、しかし小堀としては、どうせ遊んでいる株であるし、被告人とは親密な交際をしており、同人が自己に心酔していること、しかも当時、三菱地所株は大分利が乗って株価も上昇期にあったところから、これを無断で売却しても売買利益も出ることから後日文句もいわれまいと考えて、同支店に預託されていた同株五〇万株全部の無断売却を決意した。

そこで、同年一月頃、小堀は大東証券(株)の外務員である石橋昇(以下「石橋」という。)に対し、出勤途中の乗用自動車の中で、「うちの大口預金先で地所株一〇〇万株を売りたいという客がいるんだけれど売ってみるか」と申し向けたところ同人から「ぜひお願いしたい」との返事を受けた。

そこで小堀は、二月一九日に至り、大東証券(株)の石橋に対し被告人の名義を冒用して擅に、三菱地所株五〇万株「ウリ」、指値を五口に分け、各一〇万株単位で二〇〇円、二〇四円、二〇九円、二一四円、二一九円として、売付注文を出した。

右売付注文は、同日二〇〇円にて一〇万株、翌日二〇四円にて一〇万株の取引がそれぞれ成立した。

そこで右二〇万株の株券の引渡しが必要となるとともに、右株式が前述したように有価証券担保として同支店に差入れられていたものであることから、一まず全額を被告人名義の通知預金にしておこうと考え、石橋に対し本来の精算日である四日目より前の日までに至急現金を持ってくるように命じた。そして同月二三日、これら売却代金四〇〇四万九四〇〇円(精算金)をもって全額被告人名義の通知預金を設定した。

ところで、富士/馬喰町に担保として差入れられていた被告人所有の三菱地所五〇万株は、借入金の逐次返済に伴い、これより先、①昭和四五年一〇月一日七万株、②同年一一月一一日一〇万株、③同月二四日一万二〇〇〇株、④同月二六日三万株、⑤同年一二月一九日一〇万株と合計三一万二〇〇〇株が返却され(右のうち、①、③の八万二〇〇〇株は三和実業(株)の借入金担保に、④の三万株はA子の借入金担保に、いずれも返却当日同株を差換えた。)、翌四六年一月二〇日現在被告人名義の借入金が零となった時点においても、残株一八万八〇〇〇株が根担保としてそのまま預託されていた。

そして同年二月二三日に至り、同株券二〇万株が前述したように売却されその引渡しを必要とするところから、小堀は戸栗亨名義の右預託株残一八万八〇〇〇株のうち一万八〇〇〇株を同日三和実業(株)の借入金担保に差入れるとともに、A子名義の借入金担保に差換えていた前記④の三万株と、前記の残株一七万株の合計二〇万株をもってこれに充てることとした。

しかしながら、同株式については、被告人に対し担保受取証が交付されており、本来、右株式担保解除手続には、右受取証が必要とされるものの、もとより小堀としては被告人に無断で売却するものであり、同受取証の提出を求める訳にもいかないため、止むなくこれに代えて同受取証を紛失したことを「証」する念書をもって右手続を履践することとした。

そこで二月二三日ころ、「証」と題する書面(いわゆる紛失念書)をもって解除手続をなし、前記のとおり同日、右二〇万株の売却代金(精算金)四〇〇四万九四〇〇万円全額を被告人名義の通知預金とした。

ところで同二三日、被告人は大東証券(株)から前記三菱地所株を売却した旨の株式売買報告書が郵送されてきたので、不審に思い、同株式を売却した覚えのないところから、所携の手帳中の同日付欄中に「三菱株式一〇万株?」と記入するとともに、その真偽を確かめるべく右小堀を前記池袋の事務所に呼出した。そこで始めて小堀により自己の名義を冒用され無断売却された事実を同人から聞き激怒し小堀に対し「元どおりにしろ」と厳命した。

小堀は、かつて富士銀行雷門支店で行員が顧客からの担保として預った株券を無断で売却したことが発覚して銀行の信用問題にまで発展したいわゆる「雷門事件」の例に照らしても、これを表向きにすると自己の責任問題になりかねないことを惧れ、土下座して謝罪し、たまたま三菱地所株の市場値段(株価)がその後若干変動していたので「今元どおりにすると一〇〇万円位損をする」と訴え、右株式の買戻しの猶予方をひたすら懇願した。

被告人は、小堀を富士銀行内におけるエリートと信じていたところからその立場、将来を考え、この件を表向きにしてはかえって小堀が傷つき可哀相と思い、小堀のいうとおり無断売却相当分の三菱地所株の買戻による損失分を埋め合わせるため他の株の取引で回収することを承認し、そのための資金として自己の預金を小堀に貸付け利用させることとして、暫時、面倒をみてやることとした。

(二) 小堀は、結局、被告人から右三菱地所株二〇万株の売却に関し宥恕して貰ったこと、今後も面倒をみてくれることになったことから、爾後、三菱地所株の右売却代金等を資金として積極的に利用して株式取引を行ない利益を得ようと考えるようになった。

そこで早速、同月二六日に大東証券(株)の石橋に対し、西松建設一〇万株二四五円と二四六円の指値、前田建設五万株四七六円の指値による買注文を申入れ、この買主名義は戸栗亨としてくれと告げた。右両株式は同年三月一日までに注文どおりの約定が成立した。右建設株計一五万株の買付代金四八六七万六〇〇〇円については、前記三菱地所株二〇万株の精算金が被告人名義の通知預金に全額設定されているため、解約しない限り右建設株買付代金に充当し得ないところから、小堀は石橋に対して右代金の一時立替を命じてこれが立替えをさせた。

その後、右買付けにかかる建設株が値上りしたので、同月九日、右建設株一五万株全部の売付注文を石橋に命じた。なお右建設株の精算が未済であったところから、同日、前記通知預金を解約し、その手取金四〇〇七万九七〇五円で同額の預手を取組み、これを翌一〇日、大東証券(株)の本件株式売買の精算金口座に入金して右建設株の買付代金(四八六七万六〇〇〇円)に充当し、不足分八五九万余円については石橋に対し高利資金を工面させて手当した。

また、同月一〇日、小堀は、同支店に担保として預っていた東京海上の株式一〇万株の売付を石橋に注文した。

石橋は、前記建設株の買付注文の精算が済んでおらず、一時立替えのままで、その処理に苦慮していたところ、同日、小堀から、顧客の戸栗亨が同支店に来店しているから直ぐくるようにといって呼びつけられた。そこで始めて小堀は、被告人に対し石橋を紹介し、同人に建設株の買代金を一時立替えて貰っていると被告人に告げた。石橋は、同所において、被告人と小堀が言い争いとなっている異様な雰囲気のため、この人が真の注文主なのかどうか、本来なら精算金を立替えて貰っているのにお礼もいわないところ等から疑問をいだきながら名刺を手交しただけで早々に退散した。

ところで、そのころ被告人は、前述した小堀による三菱地所株二〇万株の無断売却の件を立花証券(株)の前記染谷に打明けた。染谷は同株式が同証券(株)で買付けした株式であるところから、売却するならば同証券(株)の自分を通じて売らして貰いたい旨を強く求めた。

被告人も、三菱地所株購入の目的が同地所(株)の下請業者として建築工事をすることにあり、当時、ほゞその目的を達していた状態にあったし、また、富士/馬喰町からも強く預金を勧誘されていたので、六〇万株程売却することとし、同行同支店において、中塚庸一支店長の面前で小堀をして、立花証券(株)に電話をかけさせて現在の相場市況を尋ねるなどした。

そこで、同月八日、同銀行同支店に担保のため預けていた残りの三菱地所株三〇万株、すなわち三和実業(株)分一〇万株(七万株、一万二〇〇〇株、一万八〇〇〇株)、武蔵野土地開発(株)分二〇万株の合計三〇万株につき担保解除の手続をさせた。

そして、被告人は、同月一三日にいたり、当時、立花証券(株)に、なお五〇万株を預けてあったところから、染谷に対し、前記三〇万株とともに、右立花証券(株)預け分のうちから三〇万株の合計六〇万株を指値二二五円にて売却させた。右売却代金として同月一六日、一億三三八九万七五〇〇円が同銀行同支店の被告人預金口座に振込まれた。

(三) これより先、小堀は、同月一三日、今度は被告人名義を用いて信用取引をはじめるべく大東証券(株)に申入れた。そして、同人は、その頃、右信用取引に必要な書類として、同月二一日付「信用取引口座約諾書」、割引電信電話債券額面一億四〇〇〇万円を保証金として預託する旨の同月一八日付「同意書」を作成し、自ら被告人の署名を冒書し、押印については石橋に命じて「戸栗」と刻した印鑑を購入させて押捺させた。

そして右保証金を差入れて信用取引の手続を了する以前に、既に清水建設株、湯浅電池株の買付を申入れており、右取引が成立したので、石橋は小堀に対し右保証金の入金方を請求した。

ところで、被告人は、かねて日本長期信用銀行との間に同行所有の渋谷区松濤町一丁目の土地・建物(自宅)を二億七〇〇〇万円にて購入すべく交渉を進めていたが、丁度同月一四日から二〇日までの間身体の精密検査のため聖路加病院に入院することとなっていたところから、留守中に右土地・建物買受の手続方を小堀に依頼した。そして右買受代金の資金の一部として所持していた額面一億四〇〇〇万円の割引電信電話債券(払込額七〇〇〇万円。以下「割電」と略称する。)を小堀に渡してこれを売却して右資金にあてて貰いたい旨申入れていた。

小堀は右申出に係る割電を、前記信用取引のための代用証拠金(保証金)に流用して充当しようと考え、前記同意書を差入れていたのであるが、石橋から保証金差入を催促されるや、同人に対し聖路加病院に入院中の被告人を見舞いにいくから、その際に右割電を被告人から受取って差入れる旨申し向け、同月一六日、同人を伴って同病院へ赴いた。そして、被告人から前記土地等購入代金の資金として風呂敷包在中の右債権証書類を受取るや、病室入口前附近において、石橋に対し、これを代用証拠金として使ってくれといって手渡した。

因に、右不動産(自宅)の売買契約については、同月二〇日、右日本長期信用銀行に対し右代金の全額が支払われているが、右代金の支払は、富士/馬喰町の預手二億円と同七〇〇〇万円で行なわれており、右のうち、二億円の預手については、同月一八日同行の被告人名義の普通預金から払い戻された現金二億円によって取組まれ、右資金源については①同支店に被告人名義で設定されていた通知預金を同月一八日解約し、同行の被告人名義の普通預金口座に入金した元利金六〇五六万七一六六円の精算金と②同月一六日、同様に同行被告人名義の普通預金口座に入金された右同口座からの一四七二万七七三六円の精算金及び③同月一六日立花証券から入金のあった三菱地所株六〇万株の売却代金一億三三九〇万〇五八二円の三口合計二億九〇一九万五四八四円を以て充てられている。

また、七〇〇〇万円の預手については、同月一八日殖産興業から(株)長富工務店名義で借入れた四億一七〇〇万円のうちから取組まれている。

しかして前記額面一億四〇〇〇万円の割電については、同月一七日大東証券(株)に代用有価証券として差入れられ信用取引のための証拠金に充当されたが、同年九月末日、右大東証券(株)の当期の決算期である九月末日に同金額が全部取りくずされている。

5  小堀が爾後、被告人名義による株式売買を大東証券(株)の石橋を介して現物、信用各取引を相互に交えながら頻繁に行なうようになった状況

(一) 小堀は、それ迄の自らの株式取引における奥村有功名義のほかに、更に被告人名義の口座を設定し、石橋に対し爾後、多数回にわたる売買の申込を行うようになった。そして買付、売付の申込に際しては、石橋に対しその申込人の名義は追って連絡する旨申し向け、その日ないし旬日後、利益が得られた場合には奥村有功名義に、損失した場合には被告人名義につけるように石橋に連絡し、その旨大東証券(株)の右各取引口座に記載せしめるようなことも行なった。その結果としてこの間の奥村有功名義による取引にかかる利益は合計して約一五〇〇万円程となった。

(二) 以上による小堀の被告人名義でなされた大東証券(株)における昭和四六年中の株式売買の状況は別表4のとおりである。

6  被告人が小堀に対し株式取引の中止を命じた前後の状況

(一) 被告人は、前述したように三菱地所株の無断売却を補填するための買戻しによって生ずる損失に充当するため、暫時、小堀に資金を貸付けて援助してやることを了承していたものの、その後、大東証券(株)から被告人宛に、同人名義による売買報告書が頻繁に郵送されるようになったところから、小堀において被告人名義による多数回の株式取引を行なっていることを察知して危惧するようになった。そこで約二ヶ月を経過した同年五月初旬に至り、もうこれ以上の資金融資の面倒はみてやれないと考え、小堀に対し、被告人名義による株の取引は一切止めて欲しいと命じ、所携の手帳五月四日付欄に「株中止命令(小堀氏)迷惑の件」と記入した。そして、その後も数回にわたり小堀に対し取引中止方を申し向けた。

しかして被告人は、小堀に対し、これ迄同銀行被告人名義の預金口座から株取引のために払戻した預金については、すべて被告人の小堀に対する貸付である旨を告げた。

(二) その後同月一〇日頃、小堀は石橋に対し奥村有功口座の証拠金を被告人名義口座に振替えるよう命じたため、石橋において、かねてから小堀が自由に名義を奥村と被告人との間で操作していることに不審を抱いていたところから、同人に対し「この金は一体誰の金なのか」と尋ねたところ、小堀より「一切関係ないから、言われたとおりにしろ」といわれたため、詮索をやめそのとおりに処理した。

ところで小堀は、被告人による前記中止方の申入れに対しても、安易に、これ迄の交際からみても結局面倒をみてくれるものと考えて取引を止めなかった。そのため被告人宛に被告人名義の売買報告書が依然として郵送されてきたが、被告人は既に中止を命じてある以上、自己に関係することはないものと考え、右報告書在中の郵便封筒の開披すらしなかった。

(三) 同年八月に至り、いわゆる「ドルショック」と称する暴落が証券市場を襲ったことから、大幅な株価の値下りが発生した。

被告人は、前述したとおり何度も小堀に対し株式取引の中止を命じていたが、右の暴落による損失の発生に対し、重ねて中止を命ずるとともに、かねて被告人の預金口座から小堀が預金を引き下して株式取引の資金として利用していたことから、この段階において損失の一覧表を作成するよう命じた。そしてその結果、三九四〇万円に及ぶ損失の発生したことを知った。

被告人は、小堀が更に右損失を三光汽船株の空売りで埋めようとして同株式の売付注文をしたため、これを知って同人を強く叱責するとともに(小堀の第三四回公判、符12手帳の末葉メモ欄の「三光汽船?当方は全然知らない」との記載)、これ迄小堀の所為を同銀行に秘していたが、右段階に至り、最早同行の上司に仔細を打明けてその善処方を相談するほかはないと決意した。

そこで富士/馬喰町に赴き、同行支店長中塚庸一に面会し、同人に対し、前記小堀の問題を告げた。同支店長は、ここで始めて被告人から、小堀にかかるこれ迄の経緯を打明けられ、これが同銀行の信用問題に迄発展することを惧れ、同支店の行員Fをして小堀に対する目付役として監視させるとともに、小堀に代えて右Fを被告人の係員とすることとした。

(四) 同年一〇月、被告人は、小堀による三光汽船のカラ売りの件に関連して、石橋から、小堀が奥村有功口座と被告人口座とを使い分けて損益を操作していることを始めて聞かされ、右奥村口座の顧客元帳コピーを見せられた。

そこで小堀の株式取引の遣り口の真相を知り、最早、小堀とのこれ迄の関係を解消することを決意し、知人のG弁護士に相談した。G弁護士は被告人から、小堀の無断株取引につき被告人より何度も中止を命じても云うことを聞かない旨その処理方につき相談され、直ぐ異議を出しておくように返答した。

同年一二月、被告人は小堀の前記三光汽船のカラ売りの後始末の問題につき、神楽坂の料亭においてG弁護士とともに、H代議士、Iらを交えて小堀と話し合ったが話がつかなかった。

7  被告人において小堀のなした取引につきその後とった処置

(一) 被告人は昭和四七年一月頃、小堀に対し、戸栗亨名義の口座の帰属を明確にすべく、被告人以外の者の名義に変えるように要求した。

そこで小堀は石橋に対し、これ迄の取引を三和実業(株)名義になし得ないかと持ちかけたが同人から不可能であるといわれ、同人から「取引名使用届」(仮名届)の方法があることを知らされて、小堀はそれを了承し、石橋から右「取引名使用届」の用紙を受取った。

右の事実を石橋から知らされた被告人は、右書面を小堀に記載させてこれを受取るべく、小堀の勤務先の富士/馬喰町に赴き、小堀に対し同書面に署名捺印させ、本件株式売買は小堀が被告人名義を使用して行なうものである旨の「取引名使用届」、及びその期間は実際の信用取引の期間にほゞ合せて昭和四六年三月二一日から翌四七年三月二〇日迄の間の取引である旨の書面を二通作成させた。そしてそのうち一通を大東証券(株)に提出し、残り一通はそれに同証券の石川常務取締役の印鑑を押捺させて被告人が自ら保管した。

その頃、被告人は、富士/馬喰町二階においてこれ迄の資金の用立てた分の回収の件につき話し合った。

更に、同年二月二四日頃、被告人は小堀に対し、将来の貸金請求訴訟の資料等に用いるべく「詫状」を書かせた。

しかし、同書面中に「有価証券投資を委託された」旨の事実と相違する文言が記載されていたことから、被告人は、G弁護士と相談のうえ、右書面の書直しを求めた。そして一応同文書をコピーして控をとったうえで返戻し、その旨所携の手帳にメモしておいた。しかし小堀は、その後に至るも遂に書直し訂正した文面の「詫状」は持ち返ってはこなかった。

(二) これりり先、同年一月末頃、被告人は、これ迄の小堀との関係を清算し、今迄小堀に用立てた資金の回収に充てるため、大東証券(株)における小堀に帰属する「戸栗亨」名義の株式の残株のすべてを引取って売却すべく、石橋にこれらの株式(別紙7参照)の売却を命じた。また、石橋を相手として大東証券(株)において自ら株式売買取引を行なうこととし、ただ、前記小堀による取引と混同を避けるために、同年二月二日以降、妻の「A子」の名義を用いることとした。そして同日から右A子名義による株式取引が開始された。

ところで被告人は、同年三月に至り、昭和四六年分所得税確定申告書の提出に際し、右小堀によるこれ迄の株式取引は自己に関係がないから、これを除けば同年分における株式取引によって生じた所得は非課税であると考えて、右所得分を除外して確定申告をした。

一方、小堀は、同年六月一〇日富士銀行を退社し、同年七月一日、立花証券(株)に入社し、投資顧問室長に就任した。

そして被告人に対し、新たに立花証券(株)に入社した御祝儀として「錦上花を添えてくれ」と懇願し株式取引を依頼した。被告人は過去のいきがかりはあるとしても、小堀が証券会社の社員として新出発するにあたってのはなむけとして日本電波工株その他の株式を買わせた。

以上の事実を認めることができる。

二  本件取引がすべて小堀に帰属するものと認めた根拠

検察官は、本件株式取引は、被告人において小堀に対し売買一任をしたことによって行なわれたものであるから、小堀のなした取引回数はすべて被告人に帰属する回数である旨主張する。

しかしながら、前示各事実を総合すれば、本件株式取引は、所論の如く、被告人において小堀に対し同期間内における株式売買を一任して自己の計算において行なったもの(いわゆる売買一任勘定による取引)ではなくして、その実体は、小堀が同人自身の計算において行なう株式取引に対し、被告人は単にその資金を貸付けたに過ぎないものと認めるのが相当である。

以下にその理由を述べる。

1  被告人と小堀との間に明白な売買一任勘定による合意が認められないこと

昭和四六年一月頃、被告人は、小堀から株式売買をすすめられ、かつその売買取引を任せてくれと云われたが、既に立花証券(株)で自らも株式売買をやっていたので断った事実の認められること前示のとおりである(前記一の3の(二)参照)。

しかるに検察官は、小堀の被告人名義でなした本件取引が被告人に帰属する取引であるとする根拠として、①被告人と小堀とが家族ぐるみの交際をもち、昭和四六年二月頃、被告人と小堀とが同乗して富士工務店に向う途中の自動車内において、同人から被告人に対し「株をやってみないか、一つ俺にまかせてくれないか」「全部委せろ」と申し向けるなど小堀が被告人の代理人として株式売買を実行するようすゝめたところ、被告人も当時殖産住宅株売却による資金的余裕のあったことから、右小堀の勧誘を「株で小遣い位稼ごうじゃないか」と言って喜んで受入れたこと、②被告人に対し売買の都度売買報告書等が送付され、取引内容を充分承知していたこと、③大東証券(株)における本件株式売買取引の精算金口座及び信用取引の委託証拠金口座の資金の流れからみても被告人に帰属する取引であることが明らかであること、④被告人は昭和四五年二月下旬から立花証券(株)において行った取引を翌四六年三月で手仕舞をして右に代る取引として大東証券(株)における本件取引を始め約一年間小堀に任せたが利益が上らなかったことから、同四七年二月、右取引を整理して同証券においてA子名義で自ら株式売買を始め、同年六月頃から同証券(株)の右被告人名義の口座を積極的に使用して売買を続けており、以上三本の各取引が連続性をもっていることからみても、本件における取引が被告人の継続的な株式売買を構成していること、⑤本件株式売買において買付けして名義書替をした株式の配当金をすべて被告人が受領していることの各事実を総合すれば、本件株式売買が被告人の計算と管理のもとに行われた被告人に帰属する取引であったことは明らかである旨主張するので以下右の諸点につき検討することとする。

(一) 検察官は、被告人が殖産住宅株を売却して約一〇億七〇〇〇万円の利益を上げ、十分な資金的余裕があったことから、「株をやってみないか」「全部委せろ」との小堀の勧誘を「株で小遣い位稼ごうじゃないか」と言って喜んで受入れ、大東証券(株)における本件の株式売買が行われるに至ったのである旨主張する。

しかしながら本件全証拠を精査するも、被告人において小堀に対し右申出を喜んで受入れたとする明白な意思表示の存在は認められないし、売買を小堀に一任したとする証拠もない。右の「株で小遣位稼ごうではないか」と言ったとする小堀の供述をみると、昭和四六年一月殖産住宅株売却の後で被告人に対し株の取引を勧めたのは小堀であるが、その際に「株で少しこずかい位稼ごうじゃないかという話も戸栗さんからもあったような気がします」「私の記憶で戸栗さんの車の中でそういう話題が出た記憶がございます」、更に「証人((注)小堀のこと)から戸栗に対して少し株をやってみたらどうかといったような話、そしてその株の取引を証人に任してくれないかといったような話はしたことはありませんか」との問に対し「二月頃にそういう話が出ましたが、出た発端は、どちらからも出たということで、戸栗さん自身、私があとからわかったことですが、立花証券の古いお客であったということで株式売買がもちろん初めてではなかったと、それで、戸栗さんからの発言としては、こずかい程度は、そういうものでかせぎたいと。それでは私はそういうところを知っていますから、いかがですかというやりとりだったと思いますが。」との供述記載が認められるが、それらを仔細に検討すれば、両人とも株の取引で小遣い位稼ぎたいとの気持をもっていたこと、当時両人とも既に株の取引の経験のあることが認められるのであるから、右の会話はお互に株取引を小遣い稼ぎとしてやるという趣旨にとどまり、それ以上に被告人から小堀に取引を一切委せることになったと迄は供述してはいないのである。

また小堀証言中には、大東証券(株)の戸栗亨の口座の取引ですね、これは誰の取引なんでしょうかとの問に対し「戸栗さんの取引でございます」、「戸栗さんも私を全面的にご信頼して下さったのだろうと思いますが、私に書面等は一切ございませんがこういうわけで株をやってみようということの了解はあったものと思います」旨の供述記載や、「私はそれでは少し株でもやってみたらいかがですかということで、それから電々債というものがあれば信用取引もできますよというお話をして、それではどこがいいんだという質問が戸栗さんからありまして、実は富士銀行の親密先で非常に内容も堅実な大東証券というのがありますと、そこに石橋という男がおるということでご紹介し、その開始の時期を待っておったわけです」旨の供述記載があるが、しかし、右供述をみると前者は単に自分の判断をのべたに止まりその根拠も曖昧であり、後者についてもその次回期日における弁護人の反対尋問によって、取引が始まる「前であったかあとであったかということはちょっと記憶がありません」と供述を飜えしている。真実も、叙上認定のとおり、小堀において石橋を被告人に紹介したのは同年三月一〇日であって、三菱地所株売却日より相当日時を経ていること(前記一の4の(二)参照)に徴しても、右小堀の供述部分はこれと矛盾しており到底信用できないといわなければならない。

また、被告人も、捜査段階においてすら小堀の右株を任せろとの申出を明らかに拒絶した旨を供述している。なお、《証拠省略》中に「小堀にずるずると株の売買をまかせてしまったのです」との供述は存在するが、それは、右供述の前段における「小堀は今株をやめてしまうと一〇〇万位損するよ、もう少し続けさせてくれればばん回することができるからなどと云いますので私もそんなに小堀がいうのなら続けさせて損を埋めさせてやろうというようないわば自分の欲もあって」との供述を受けているのであって、更にこの点はまた「今考えると小堀からこの話((注)三菱地所株の売却)を聞いた時に、すぐ小堀に対し、二度とこのようなことを辞めるように云えばよかったのですが、その時の小堀の話では、「今株をやめてしまうと一〇〇万位赤字がでてしまう、もう少し続けさせてくれればばん回することができるから」ということを申しますので、つい私も小堀がやった一〇〇万円位の赤字をなんとか彼に埋めさせようという気持からついズルズルと小堀の株の売買を続けさせてしまったのです。すなわち小堀は「今度は必ず元をとってみせる」とか「今度は赤字を消してみせる」とか云うのでその言葉を信用してズルズルと株の売買を続けさせてしまったのであります」と述べていることや、「私はずるずると株の売買をやらせ、金の面倒をみてきた弱身もあるし、何とか頼むといわれ、我慢する気になり」との供述を併せみれば、右の株の売買をまかせたとの供述の趣旨は売買一任の意とは異なるもの、換言すれば損失の穴埋めとして資金を貸与して株の売買を許容するとみた方が合理的かつ素直とおもわれる。

また、この外に次のような諸事情、すなわち被告人が三菱地所株二〇万株を小堀によって擅に売却されたことに立腹し、昭和四六年二月二三日頃、池袋の事務所に同人を呼びつけ謝罪させ「元通りにしろ」と命じたこと、更に、売買一任勘定として認めるための最も基本的な事項である資金量、すなわち幾何の範囲の金額を以て取引を任せるかということの具体的な取決めが全くないのみならず、報酬の約定も全くないこと、信用取引口座設定に際しての申込書類に押捺した印章の無断購入、使用等の同書類作成前後の状況、松濤町自宅購入資金に予定されていた割電の信用取引代用証券への目的外流用等の各事実を併せ考えれば、本件における被告人の前示所為は小堀において被告人に無断で三菱地所株を売却し、その買戻しに損失を生ずることから、右損失の穴埋めのため清算に必要な資金を貸与し、右損失分を他の株式の取引による収益で回収することを承認したもの、換言すれば、損失の回復に要する資金の融通をしてやり、そのために戸栗の名義を用いて、小堀の計算で株式取引を行なうことを承認したものと認めるのが合理的といえる。

戸栗亨の名義を用いることを許している点についても、小堀が現職の銀行員であるため、被告人が小堀に対し「お前銀行員のくせに、株なんかやれる筈ないじゃないか」といったこと、前示のいわゆる雷門事件と称する、かつて同銀行の某行員に係る株取引不祥事件の存在とを併せみれば、被告人が小堀の銀行における立場を考えてのためということも充分推認できる。

その上、被告人は小堀よりはるかに早く、既に昭和三〇年代から自ら株式取引を行い、証券取引に関する知識も充分に持ち合せており、本件当時も、立花証券(株)等を介して株式取引を行っていたのである一方、小堀は当時、銀行員であって、証券会社の外務員でもなく、被告人において株式取引のため必要とした特別の情報知識を有したものとも窺われないところからすれば、小堀に自己の株式売買を一任しなければならない程の特段の事情も認められない。

また、前記小堀の供述は、それ自体曖昧であるばかりでなく、大東証券(株)の石橋の供述と対比すれば、種々喰い違いが少なからず認められ、また、取引先からの担保差入証券の売却ということからみれば、同人の立場が同行における自らの行為を正当化しなければならない事情も窺われ、これらをみても、到底信用できないといわなければならない。

却って、同人が石橋に対し奥村有功口座との振替を命じた際、「あれだけの金持ちになんぼ損させてもよい、俺のいうとおりにしろ」といっていたことをみれば、小堀の所為は、被告人において殖産住宅株二五一万株の売買によって巨額の利益を取得したことを知り、たまたま被告人が自己に心服していることを奇貨とし、空担保となった三菱地所株を処分し、これを資金として大東証券(株)に被告人名義の口座を開設し、既設の奥村有功口座とを使い分けて操作運用し自己の利益を獲得しようとしたものと推論することもできよう。

また、小堀が被告人と親密な交際をしていたことは認められるが、そのことは、却って被告人において小堀に損をさせてはならないと考え、小堀自身も当時大東証券(株)において奥村有功名義の口座を設けて株式取引をしていたのであるから、資金を融通させて小堀に儲けさせてやろうと考えていたとみるのが素直であろう。小堀が当時、既に被告人から借金して株式取引していた事情の存在も、右の事実を裏付けるものである。

なお、資金の点につき、当時被告人は殖産住宅株売却益約一〇億七〇〇〇万円を得、売却代金の一部を富士/馬喰町に預金したり、また被告人において同銀行からの融資の担保として三菱地所株五〇万株、殖産住宅株一四七万株、東京海上株一〇万株を預けていたのであるから資金として利用できる範囲はわかっている筈であるとの疑問があるかもしれない。しかしながら、これらはいずれも富士銀行に対し預託したものであって小堀個人に預託したものではないから、一銀行員に過ぎない小堀が預金につき限度を定めずに自由に利用できると考えることは不合理であるといわざるを得ない。

なお、右三菱地所株五〇万株につき、小堀は被告人から「利が乗ったら処分してもよい」旨同意を得ていたから、昭和四六年二月一九日大東証券(株)に二〇万株、同年三月一三日立花証券(株)に三〇万株、それぞれ売注文を出したと述べ、また、被告人が富士/馬喰町支店長中塚庸一の面前で立花証券(株)に電話をかけて三菱地所株の相場を聞き売却の意思を明らかにして右売却代金を定期預金にする旨承諾している旨当公判廷において供述しており、右供述に副う同支店長中塚庸一の供述が存するものの、右各供述はいずれも信用できない。けだし先ず、小堀については、叙上認定のとおり、被告人が後に三菱地所株三〇万株の売却をしたことを利用して、自分の無断売却分二〇万株を正当化するために、ことさらこれと結び付けて供述したものと認められる。そのことは、大東と立花の両証券会社に対する注文の日時が二〇日以上離れてなされている点の不自然さ、また、立花証券(株)に対しては計六〇万株の売却であって当初五〇万株という注文の数量に喰い違いのあることからも窺われ、しかも同株式は平常から取引量の多い銘柄であり、長い間の日時、指値が出会わなかった等とは到底考えられないので右供述記載は信用できない。また、中塚庸一の右供述記載は、被告人が叙上認定のとおり、三菱地所株六〇万株につき、同人の面前で立花証券(株)に電話し、売却してその代金を定期預金とする旨承諾し、同年三月一三日六〇万株を立花証券(株)の染谷を介して売却していることにつき、誤って同年二月一九日の小堀によってなされた無断売却二〇万株と取違えて混同して供述したものか、或いはまた、二月一九日の売却分の全額が被告人名義の通知預金とされていること(後の三月九日に至って右通知預金を解約して同額の預手を取組み翌一〇日株式買付代金に充当している)からみれば、中塚支店長は、かねて被告人の殖産住宅株売却代金のうちから一〇億円程度を同行の定期預金に取組んで貰えるものと期待していたが、逐次、右代金が預入れられていた普通預金の口座から同預金が取りくずされ、そのためあせりを感じ、たまたま三月期の銀行決算期を控え多額の預金の欲しいところから、三菱地所株を売却してその譲渡代金を通知預金とすることに乗気であったことが窺われ、従って、小堀から、戸栗よりの承諾を得ている旨の申出を受けるや、何等被告人に確認もせずに通知預金として処理させたものと推認できる。そして銀行支店長としての立場のあるところから、部下の小堀が無断で担保物を処分したことが公表されれば自己の同行内においての責任も及ぶことを慮っての供述とも推論し得るので、右中塚の供述は到底措信することができない。

(二) 検察官は、大東証券(株)における被告人名義の株式取引が優に二〇〇回を越え、被告人において右売買の都度同証券から送付される売買報告書、信用取引売買報告書及び信用取引計算報告書、毎月一回送付される信用取引管理通知書を受取っているほか、連日右小堀と会って口頭若しくはメモ等により報告を受け、取引内容の詳細を十分承知していたから、右一任勘定があったものと認められるべきである旨主張する。

しかしながら、右報告書等が被告人のもとに送付されていたとしても、叙上認定のとおり、本件は被告人名義を用いることを許容された小堀自身の取引と認められ、証券会社としては特段の理由のない限り、届出られた名義人の「住所」に宛て送付することになるだけであるから、右の事実は何ら前記認定を左右するものではない。

また、右各報告書の送付や、小堀から報告を受けていたから被告人において各取引内容の詳細を充分承知していたとすることには疑問があるのみならず、証券取引における受託売買において最も基本的な事項である顧客の意思の確認の面に欠けており、従って、これのみでは到底不十分である。

従って、これらの点は、寧ろ、後記、追認若しくは黙示の承認があったとみられるか否かの問題であり、それは消極に解せざるを得ないこと後記認定のとおりである。

右売買報告書(査察の際差押えられたもの)をみるに、これらはいずれも小堀関係だけのものであって、しかも外形上、内容を見ないまゝ放置していたのではないかと窺知できるような状態におかれたものが相当数存在しているが(開披されないままに括られていたことにつき証人木村健一の第一七回公判)、これと「若し委任してやらせた取引であるとしたら赤字の取引を一年間も辛抱はできないであろう」、「まだ小堀のやつ株取引やっているのか」と怒った旨の被告人の各供述や、後日、詫状を小堀から徴していたこと等を併せ考えれば、却って被告人において自己の資金と名義を用い、小堀の計算で行うことを承認していたからこそ、売買報告書が毎回自己宛に配達されてくることに異論をはさまず、封書の開披もしなかったものとも推認できる。

(三) 検察官は、大東証券(株)における本件株式取引の精算金口座及び信用取引の委託証拠金口座の資金の流れ、入出金状況(論告要旨添付別紙10「大東証券戸栗亨口座の精算金、証拠金の入出金明細表」、別紙11「富士/馬喰町戸栗亨名義普通預金入出金明細等一覧表」参照)にみられるように、被告人が小堀に実行させた約一年間に及ぶ本件株式売買において、①その資金は、同人が勤務していた富士/馬喰町から被告人もしくは三和実業(株)の名義で借入したほか、被告人もしくは(株)富士工務店の名義で三和銀行池袋支店及び殖産興業(株)からも借入れをしており、右二社からの借入は被告人の関与なくしては実行できないものである。また被告人は、このほか立花証券(株)において三菱地所株を売却した代金を資金に充てるなど自ら資金手当を行なっている。②さらに、被告人は、精算金及び証拠金の戻りを右借入金の返済に充当したに止まらず、定期預金の設定、不動産(自宅)、絵画、殖産住宅株の購入代金等資産形成の資金としても使用し、また少額ではあるが納税資金にも充当するなど、その利益を享受していた。③そして、三菱地所株の売買につき、大東証券(株)における本件取引口座と被告人が独自で行っていた立花証券(株)における取引口座との間に資金の交流があり、同様被告人が独自で行なっていた岡三証券(株)における株式売買の資金を本件取引の精算金から支出していること等の事実は、被告人が本件株式売買を右立花証券(株)及び岡三証券(株)における売買と同様に自己の取引として運用していたことを示す証左であると主張する。

論告要旨添付別紙10、11と右各表掲記の各証拠とを対比すれば、なるほど富士/馬喰町戸栗亨名義普通預金口座と大東証券(株)戸栗亨口座精算金・証拠金との間に所論の如き入出金状況の存することは窺知できるが、右事実は、当時、小堀において富士/馬喰町戸栗亨名義普通預金口座を事実上自由に操作できる立場に在ったことを考え併せるときは、必ずしも本件取引が被告人の意思に基づき被告人の計算においてなされたことの証左となし得ないのみならず、却って、これらの資金が、被告人とは全く関わりのない小堀の仮名口座である奥村有功名義の証拠金口座にも流用されている事実は、これらの取引が、実は小堀によって同人の計算においてなされたものであることを何よりも雄弁に物語るものとすら言い得るのである。

また、普通預金の払戻請求書に被告人の自署の存するものが認められる点についても、前示の如く、被告人において小堀に対し前記口座の預金通帳及び被告人の自署のある金額白地の払戻請求書数十通を預託していた事実に徴するときは、小堀においてこれを奇貨として擅に普通預金の払戻しをなし、本件株式の売買資金に充当したものとも考えられ、未だ以って本件株式取引の資金調達に被告人自身が関与していることの証左となすに足りず、更に、預金の払戻時に払戻請求書の提出がなく事後に右請求書を整えて処理していること等は、寧ろ、小堀において自由に被告人の預金の出入を管理していたことによるものである。

また、被告人又は(株)富士工務店名義で三和銀行池袋支店や殖産興業(株)から資金の借入れをしている事実が窺われ、右借入れは被告人の関与なくしては実行できないものであることは、検察官指摘のとおりであるけれども、そのことは、必ずしも所論の如く被告人が自己の株式取引の資金手当を行なったこと、すなわち、本件取引が被告人に帰属することを意味するものではなく、前示のとおり、被告人において、三菱地所株売却に伴う損失補填のため、小堀の計算において行なう取引に必要な資金として、同人に貸付ける目的で調達したに過ぎないものと認むべきであり、さらに、精算金及び証拠金の戻りを被告人において自己の用途に充てているとの点についても、小堀に対する右貸付金の返済を受けてこれを費消したものと認められるから、未だ以って本件取引が被告人に帰属することの証左となすに由ないものと言うべきである。

また、被告人名義の預金口座は、被告人に帰属するものとして、株式取引以外にも、本来利用されているのであるから、証拠金、清算金口座からの出金が、一旦被告人の普通預金口座に入金されたうえ借入金の返済に充当されたり、又は美術品の購入資金に充て、或いは直接被告人名義の定期預金の設定にかかる資金に充当され、納税資金にも充当されるなどの事実があるとしても、そのこと自体は直ちに被告人に帰属する取引の証左とはなり得ない。

渋谷松濤町の不動産(自宅)購入資金に右証拠金、清算金の口座からの出金があることについても、当時、被告人が入院のために小堀に対し、右不動産購入手続を依頼したためであり、いずれも直接ではなく小堀において管理していた被告人名義の普通預金口座から払い戻されて支払われている。

また、大東証券(株)における本件取引口座と被告人がなした立花証券(株)における取引口座との間に三菱地所株の売買につき資金の交流があり、更に岡三証券(株)における株式売買の資金が大東証券(株)の取引精算金から支出されていると主張する点についても、これを検討するに、立花証券(株)においては、被告人が後記認定のとおり三菱地所との下請企業となるための交渉等を見合いながら、その頃、三菱地所株が値上りしたので一時売却しても値下りしたところで買戻せば差支えないとして昭和四六年三月一三日に六〇万株を売却した後、同年四月二二日頃に至り値下りしたので、小堀による無断売却分二〇万株と右六〇万株とを併せて八〇万株を買戻すため注文したものと推認され(六八万八〇〇〇株の数量をみれば、同月二二日に、二〇万株買付指値注文し一一万二〇〇〇株しか出来なかったので翌二三日、合計八〇万株となるよう買戻すための注文と推認できる)、同年六月二二日頃、また値上りしたが、三菱地所の下請企業となる目的を達したので右二〇万株を売却したものと推認される。

右のうち、三月一三日の六〇万株については前示渋谷の不動産(自宅)購入資金の捻出のためであって、右購入については小堀に手続を依頼したために富士/馬喰町の戸栗亨名義の普通預金に入金させたものである。

大東証券(株)で五月一四日売却した三菱地所株一四万九〇〇〇株は、もともと立花証券(株)で被告人が買付けた株であるために、立花証券(株)の被告人口座へ戻入したものである。

次に、大東証券(株)の精算金口座から昭和四七年一月六日岡三証券(株)戸栗亨名義精算金口座に金員が移動されている事実は認められるが、それは被告人が岡三証券(株)において昭和四六年中に買付けた後楽園株を昭和四七年一月五日、大東証券(株)の石橋に対し被告人が売却方を申し込んだその売却代金であって(別表9の番号1)、もともと岡三証券(株)における買付株式であったものであるから、右代金を戻入したものに過ぎない。

なお、被告人が大東証券(株)を利用したのは、その頃、既に被告人が小堀との関係を清算し、爾後、同証券の石橋に対し自ら株式取引をしてみようと思って売付注文をしたものである。その後、同年二月一日にも同証券を利用して、昭和四六年中に岡三証券(株)で買付けた日本信販株を売付注文したが、その時は、小堀の用いた「戸栗亨」名義の口座を利用して、爾後自己の取引を開始したためである(別表9の番号43)。

また、大東証券(株)の精算金口座から金員が引出されて渡辺迪との殖産住宅株の相対売買のための代金に充当(渡辺迪の殖産興業借入金返済)していることは認められるが、右は昭和四七年二月二日以降の出金であって、既にこの時点では、前同様に小堀との関係が精算済であったところから、右取引自体被告人自らなした取引であるので前記認定に影響はない。

このようにみてくれば、検察官の主張する証券会社間の資金の交流と称する点についても、いずれも被告人に帰属する取引であると認めるに足る証拠とはなり得ないといわざるを得ない。

(四) 検察官は、被告人の昭和四五年以降の株式取引を概観すると、昭和四五年二月下旬から立花証券(株)において実名で売買を始め、翌四六年二月手仕舞し、右に代る取引として同年二月から大東証券(株)において小堀に任せて約一年間売買を行なったが利益が上らなかったことから、今後は自らの判断で直接売買を始めようと考え、翌四七年二月、右小堀に任せていた取引を整理し、同証券会社においてA子名義を使って自ら株式売買を始め、同年六月頃からは再度同証券会社の右被告人名義の口座を使用して売買を続け、以上三本の取引が連続性をもって継続的な株式売買を構成しているのであり、大東証券(株)における本件株式売買は被告人が継続して行なった一連の株式取引の一環であり重要な位置を占めていた旨主張する。

しかしながら、被告人のその間における株式取引は、右の三本の取引の外にも岡三証券(株)、立花証券(株)、山一証券(株)、大和証券(株)等において行なわれており、しかも、大東証券(株)における本件株式売買のみが著しく多数回であって、他の証券会社とその取引内容、銘柄等が一見して著しく異っていることは、そこに一環した連続性を認めることは困難であって、却って右大東証券(株)におけるものについてのみ別異に検討すべき必要があり、まさにそのとおりであることは叙上認定のとおりである。

(五) 検察官は、本件株式売買において買付けして名義書換をした株式の配当金をすべて被告人において受領していることは、本件取引が被告人に帰属する証左の一つであると主張する。

しかしながら、言う迄もなく、名義を被告人に書換え、被告人の住所地を届出れば、被告人に対し発行会社から配当金が送付されるのは当然のことであり、被告人としても損害金の弁償の一部として取得していたものと推認されるうえ、本件株式取引はもとより配当金受領でなく短期間の売買によって差益をあげることを主たる目的とした投機的性格の取引であるから、たまたま配当金を受領したものが含まれていたとしても、それのみを以って本件取引が被告人に帰属するものと断定することはできない。

2  被告人に帰属する取引であると認めるに足る証拠は存しないこと

検察官は、小堀による三菱地所二〇万株無断売却の点につき、被告人の承諾のあった証左として、前記小堀並びに中塚の供述のほか、右売却により二〇九万九〇〇〇円、二四九万九〇〇〇円の各差益を被告人が得ていること、右売却代金(精算金)が全額被告人名義の通知預金とされ、解約後、大東証券(株)における株式売買の精算金口座に入金されて本件株式買付け代金に充当されていること、右株式の売却による精算金が被告人の自宅購入代金の一部に使用されていること、右通知預金の解約手続や、三菱地所株の担保解除手続をみても前者につき無証書で実行されて一週間後に証書及び取引印鑑票に基づく届出印が徴求されていること、後者につき、担保受取証紛失にともなう「証」と題する書面(いわゆる紛失念書)に右銀行印等が押捺されている事実等を挙げ、これらの諸点からみても被告人の同意を得て行った株式の売却であると主張する。

しかしながら右主張は、次の各事実からみても失当であることは明らかである。

(一) 叙上認定のとおり、被告人は殖産住宅株二五一万株を小佐野賢治に売渡して右売却代金を以て富士/馬喰町から借入金を全部返済し、それ迄右借入金の担保として差入れてあった三菱地所株五〇万株、東京海上株一〇万株がいわゆる空担保となったが、そのまま預託していたので小堀において右株式を売却して爾後の株式取引資金にしようとしたものである。右担保解除手続をみるに、担保受取証紛失にともなう「証」と題する書面(いわゆる紛失念書)によって処理されているが、右書面は被告人によって差入れられたものではなく、また、同支店貸付係長小山正治の証言によれば、同人は当日病気欠勤していたため、出庫に関与せず、後日に至って右紛失念書を徴求して形式を整えた事実が認められる。右書面に押捺されている印影は、いずれも当時、被告人が小堀に印章を預託していたことからみれば、同人によって冒捺されたものと推認し得る。

更に、被告人が実質的に経営していた武蔵野土地開発(株)(代表取締役沢登正斉)が富士/馬喰町から二〇〇〇万円の借入れに際して昭和四五年一〇月頃、担保に差入れた被告人所有の三菱地所株二〇万株の担保解除手続に関する書類の作成状況をみても、右沢登正斉は、関係念書の作成を否定しており、印章を小堀に預けたことがある旨供述しているところからすれば、前同様に、小堀が勝手に押捺したものと推認されよう。なお、小堀は、昭和四六年二月一八日頃富士/馬喰町において、同人と前記中塚支店長とが被告人と面談した際、同支店長から被告人に対し「少し預金して欲しい」旨依頼したところ、被告人から(前示のように当時空担保となっていた三菱)「地所株を売って預金しよう」との応諾を得たため、早速、小堀において立花証券(株)社長石井久に電話で照会し、地所株は二〇〇円が売場である旨教示されたので、立花証券(株)に三〇万株、大東証券(株)に二〇万株、それぞれ三菱地所株の売付注文を出した旨供述している。

しかし、大東証券(株)の注文伝票によれば、翌一九日に売付注文のなされていることが窺われるが、その株数は五〇万株(指値二〇〇円から二一九円にかけて各一〇万株単位)であり(うち二〇万株が成約されている。)、また、立花証券(株)を介しての取引は、右の時期と大幅に異なる同年三月一三日になされているのであって、小堀の前記供述は、右の客観的事実と符合せず、さらに、被告人が当時同支店に四、五億円の預金を有していた事実に照らし、中塚支店長において担保となっている株式を売却してまで預金するよう懇請するということ自体不自然と考えられることからしても、その信憑性には多大の疑問を抱かざるを得ない。

これに対し、被告人は、三菱地所株は当時「資産株」として取得し保有していたものであって、手頭売却の意図を有しなかった旨弁解しているのであるが、①取得株数一〇〇万株というのは、被告人の従前の取引からは異例と思われる大量の取引であること、②昭和四五年六月六日同株式を買付けるや、その直後一〇日以内に、配当時期(三月、九月)でもないのに、早々に名義書換請求をしており、単なる投機目的や配当金目的で取得したものではない事情を窺わせること、③周知の如く、この当時から大企業と何の手づるもない中小企業にとっては、大企業の下請業者となるためには、当該企業の株式を取得し、名義書換のうえ株主として交渉に臨むことがその「生活の知恵」と一般に考えられていたところ、被告人の経営する(株)富士工務店は当時三菱地所(株)の建築部門の下請業者となるため運動中であったのであり、同社の株式取得はそのための手段であることが窺われること(FM住宅三菱ハウスのカタログには、(株)富士工務店が施行業者として名を連ねており、そのころ、被告人がその目的を達したことが窺われる。)等、諸般の事情を総合すれば、被告人の前記弁解は充分首肯するに足りるものがあり、単なる後日の弁疏として軽々に排斥し難いものと言わざるを得ない。

検察官は、三菱地所株を被告人が長期間保有するつもりでいて処分を予定していなかったとするならば、昭和四六年二月に処分した二〇万株程度は被告人の資力をもってすれば直ちに買付けして補充できたにもかかわらず、却って、同年三月に六〇万株という大量の株を処分しているし、同年四月に買付けた四一万二〇〇〇株にいたっては、半月後に一四万九〇〇〇株を処分したあと六月には全株を処分するという目先の利ざや稼ぎ的売買に終始しており、これらは被告人にとって一般的にいわれている意味での資産株ではなく、単なる投機対象に過ぎなかったことが明らかであると主張する。

しかしながら、被告人において、三菱地所株一〇〇万株買付の目的は、同社の下請企業となるためであったし、右下請の仕事が始った時期は小堀において同株式二〇万株を売却した頃であって、しかも、被告人は「しばらく三菱地所のほうの交渉等を見合いながら三月一日かに売ったわけです。ですからすぐ売るというんではなくて、株は染谷さんの所にありますから、持っていったんだか、あったんだかその辺のところは僕はよく覚えていませんが、とにかくそうした三菱地所との交渉の合間を見て、これならうまくいくだろうということでやったというふうに僕は記憶しています。」と供述するように、三菱地所(株)の下請企業としてなるための資産株であるから、その目的を達し、FM住宅三菱ハウスの建設業者となるための交渉が成功した以上は、三菱地所(株)の下請業者として同社と一旦契約成立後は、同株式保有が契約存続の条件をなしていないことが被告人の供述から窺われるので、その後において買戻しをしてそのまま保有しなかったとしても必ずしも矛盾のないこと、「資産株」の考え方も、それは株主たる地位を足がかりとして当該企業の下請業者となることを目的としたものをいうのであることなどからすれば、検察官の所論はその前提を誤解したものといえよう。

(二) 検察官は、被告人において建設株の買付注文に対し約定が成立しながら、代金を精算しなかったため石橋をして高利の金を借りさせて処理している点に触れ、後日被告人はこれを決済しているし、他にも被告人が株式代金の買付代金を決済日までに支払わず、証券会社との間にトラブルを生じた事例も少なくないのであって、本件もその一例に過ぎない旨主張する。

しかしながら、仮に大東証券(株)との取引が被告人に帰属するものであるとすれば、本件建設株取引はその最初の取引であって、当時、被告人において殖産住宅株の売却代金を多額に保有しており、容易に支払可能であったこと、しかも、三月一〇日、同行において被告人と石橋が初めて面接した時に当然、同人に対してその支払遅延の理由を告げて陳謝したであろうのに、その事実が全くないこと等よりすれば、右の支払のための精算の遅延の理由が、実は被告人にあるのではなく、小堀にあったとみるべきであり、このことは、叙上認定のとおり、三菱地所株二〇万株を売却してその精算日である四日目の以前に右売却代金の支払方を強く小堀が石橋に対して求めこれを実施させたことを併せみれば、容易に肯認できる。

(三) 検察官は、被告人が信用取引口座設定に際し、信用取引委託証拠金の代用証券として割電額面一億四〇〇〇万円を小堀に手交したものであると主張し、その証拠として、信用取引口座設定約諾書を小堀において代筆し、「石橋に印鑑を被告人から押捺して貰うように頼んだに過ぎず、石橋が被告人から印鑑を貰わず自分で調達したということは事件になって初めて知った」との小堀の供述を援用しながら、これと一年間にわたって継続して信用取引を続けていたことをみれば、被告人が信用取引を開始するにつき事前に同意していた事実を示すものであって、単に文書(信用取引口座設定約諾書)それ自体の形式から事実を判断するのは本末顛倒というべきであり、更に、被告人の住宅購入代金は立花証券(株)における三菱地所株の売却代金等から出されている事実や、石橋が小堀に同道して聖路加病院に被告人を見舞に行った事実(小堀が被告人に内密に信用取引を始め、割電を保証金の代用証券として差入れるものであるならば、担当外務員の石橋を被告人のもとへ連れて行くような危険なことはしないはずであるとする。)に照らすと、被告人が小堀に右割電を手交したのは、まさしく信用取引委託証拠金の代用証券として使用するためであったと認めるのが相当であると主張する。

しかしながら、右小堀の供述のとおり仮に石橋に被告人自ら印鑑を押して貰うよう頼んだに過ぎないならば、一体、何故被告人の住所氏名を小堀が代筆したか説明に窮する。蓋し常識的に考えるならば、書面の該当欄に鉛筆で下書か若しくはしるしを付して署名を貰い、併せて押印をして貰うよう石橋に頼むと考えるのが通常であろう。

また、信用取引口座を開設した場合、爾後の同取引にかかる関係書類作成の必要が生じたときには、右信用取引口座設定約諾書に押捺された印鑑と同一のものがその都度使用されるはずであるところ、単に、被告人に印鑑を押して貰ったとするにもかかわらず、その後の手続(たとえば、同割電が同年九月三〇日取くずされている時に印が必要である)に際し、小堀が被告人方に石橋をして印鑑を貰いに行かせたという事実が窺われないのは甚しく不自然、不合理である。これはまさに小堀の虚言を裏付けるものといえよう。

また、一年間にわたって信用取引が継続していたことは、所論指摘のとおりであるが、それは叙上認定のとおり、単に戸栗亨の名義を利用して小堀自らの計算で行っていたもので被告人はそのための資金を融通したに過ぎないことよりすれば何等矛盾しないといわなければならない。

住宅購入資金が三菱地所株の売却代金より出されていることは、前記割電を他目的に流用してしまった穴埋めとみるのが合理的である。更に、石橋が小堀と同道して病院へ行った点についても、石橋は右割電を被告人の病室の外で小堀から手渡されたと供述しており、一週間程前に被告人と石橋が同行において小堀の紹介で初めて面接した事実のあったことからすれば、被告人にとってみれば自分が小堀に対する融資先であることから見舞に来てくれたものと考えたとしても背理ではなく、所論指摘の如く小堀にとって極めて危険な事態であると断定することもできない。

(四) 検察官は、小堀が「戸栗亨口座」と「奥村有功口座」とを使い分けて操作していた点につき、右のようなことは「時間優先の原則」を基幹とする証券取引所における競争売買に従事している組織体としての証券会社において行われ得るとは全く考えられないことであり、更に本件各注文伝票を検討するも、外観上「御芳名」とされた欄の氏名のみをあとから書き加えたという証跡は全く認められず、仮に小堀が両口座を使い分ける操作が可能であったとしても、そのことは、小堀の責任を追及すべき事由とはなり得ても、本件取引を小堀に帰属させる論拠とはなり得ない旨主張する。

しかしながら、小堀において両口座を使い分けていたことは、昭和四六年四月八日被告人名義の口座から証拠金二〇〇万円が右奥村名義の口座へ流用され、また、同年五月一二日富士/馬喰町の富士工務店の普通預金から預手で払戻された一四〇〇万円が右奥村口座に入金後翌一三日同額が出金されて被告人の右証拠金口座へ入金された事実等により明らかに認めることができるのみならず、石橋の、約定成立後に氏名欄が決まること、予め決めてなく、飽く迄相場をみて、その日のうちに利喰いができる状態の時は奥村の方へつけたこと、これらはすべて小堀の裁量で決められ、その指示のとおり石橋において振り分けたこと、及び注文伝票はすべて名前は入れないという指示のもとにやっていたこと等の供述によっても窺われるところである。

更に、奥村口座と戸栗口座とを比較すれば、後者が売却損が生じているのに反し前者に約一五〇〇万円の売却益の生じていること、しかも両口座とも取扱った銘柄がほぼ共通であったことが認められるのみならず、石橋の小堀に対し両口座使い分けの件につき『「とんでもないことをお前はする」、「ここまでやるんだったら俺は全部戸栗さんにばらすぞ」、「俺としても伝票をそうするわけにいかないから」等と言うと、小堀は「何言っているんだ、石橋さん、あれだけ金持っている男になんぼ損をさせてもいいんだ」、「余計なこと口を出すな」このとき彼(小堀)から返ってきた返事です。私はこのやりとりをはっきり覚えています。あくまで戸栗亨のそれを主体にして自分の利益をやっていた』という供述こそまさに正鵠を射たものといえよう。前記のように奥村口座に入れた一四〇〇万円を戸栗亨口座の証拠金に振替えることについて石橋が『「一体誰の金なんだ」とききましたら「いやそんなことは一切関係したことじゃない俺の云うとおりに振替えてくれればいいんだ」といわれた』という供述も併せみれば、小堀において両口座を使い分けていたことが明白である。

検察官は、石橋の供述が被告人からの委託による株式売買で巨大な歩合収入を得て被告人に恩義を感じていたため、ことさら小堀を悪者と決めつけたうえ、被告人の利益となるよう配慮しながら証言していると非難する。

しかしながら、もともと歩合外務員である石橋は、大東証券(株)における小堀に対する係員として同人からも歩合収入をそれ迄も多額に得ていたのであり、しかも、石橋の公判における供述記載すなわち、小堀に対する不利益とか、被告人に対する利益如何よりも、寧ろ真実を訴え、小堀が両口座を使い分けて自己の利をはかっていた点を裁判所にわかって貰うために何度でも具体例を挙げながら供述している真摯な態度(第六回公判期日における石橋の右両口座の使い分けについての「国税でも、地検でも、言っても絶対そんなことはないと言い張られたんです。これは私のほうが自主的に言ったんですけれども。私はこれは納得してもらわなくちゃ困る。私はこれに自分の生命をかけているんです。」との供述記載等)に鑑みれば、右石橋の供述記載は充分に信用できるものといわなければならない。

なお、検察官は、石橋の公判廷供述記載部分につき、被告人を庇護し被告人の利益となるよう配慮しながらなされているので、その証言の信憑性については慎重な吟味が必要であるとしたうえで、特に同人が「取引名使用届」の作成経緯に関し、「小堀氏が商いを全部まかされてやっているというような形を知っておりますから」と供述し、大東証券(株)における被告人名義の本件株式は、小堀が被告人からまかされてやっているものであることを認める証言をした事実は特に留意すべきである旨主張する。

しかしながら、「取引名使用届」に関する第五回公判調書中の同人の供述部分を検討するに、「店の中の人間全部」という供述記載が後の「小堀氏が商いを全部まかされてやってるというような形を知っており」の供述記載を受けており、右供述部分は明らかに会社全体が小堀の行った株式取引の外形、すなわち被告人から商いを全部依頼されているという形式を知っているというにとどまるのであって、このことは、小堀の取引が会社内部において、奥村取引を除いては、すべて戸栗亨名義でなされていることがわかっている以上当然のことであって、何等石橋において小堀が被告人から依頼を受けたことを認める趣旨でないことは明白である。

また、石橋の昭和四八年六月七日付検察官調書中に「戸栗さんに呼ばれ『今までの取引は小堀の商いだった』といわれた。その意味は私に対する注文を小堀がやっていたという意味であって、戸栗の資金を使って戸栗の計算でやってきたという意味です」の記載はあるが、しかし「小堀の商い」の言辞を以って直ちに「戸栗の資金を用いて戸栗の計算で」行なったと即断することはできない。けだし、一般にも「商い」とは品物を売る職業、商売の意と解せられ、寧ろ自己の責任を以って自己の計算で行い損益も自己に帰属するものと解するのが相当であるから、この部分に関する石橋の供述は被告人の言動を誤解したものと推論され、信用性に乏しく叙上認定に何等の影響を及ぼさない。

他に特に石橋において被告人をことさら庇護するような供述部分も窺われない。

(五) 検察官は、被告人において昭和四七年一月頃、富士/馬喰町中塚支店長に対し本件株式売買が小堀の無断取引であることを強調したり、小堀から詫状及び取引名使用届を徴しており、この時期に至ってにわかに外部に対しかかる態度を意識的に示すようになったのは、株式売買益に対する課税を回避しようとする意図によるものとみるのが自然である旨主張する。

右主張は、要するに、株式取引を始めて約一年も経過し、確定申告書提出の準備作業に入る時期になって右の行動に出たのは、被告人において実体に合わせるために書面を作らせたのではなく、課税関係を考慮して事後工作を働いたことを物語るものであり、右書面も、小堀としてみれば、一年間にわたる多数回かつ多額の株式売買が一銀行員である自己に帰属する取引であったとすることは到底承服し難いところであり、他行員のいる勤務先において、被告人から強要されたため不本意ながら署名したもので、まさに小堀は書くべからざるものを書いたものであるというにある。

しかしながら、右文書を書かせたのは、昭和四七年二月の確定申告時期が近づいたので、本件取引の責任の所在をはっきりさせるためである旨の被告人の供述は、これに添う石橋の第八回公判供述記載部分や、詫状コピーに関する文言が真意に反しているとして書き直しを命じた旨の証人木村健一の第一七回公判供述記載部分からも裏付けられ、充分信用できる。

石橋は、本件が被告人において小堀のやった不始末を跡始末つける、本来、小堀が背負うべきものをかばって埋めてやるということである旨供述しており、また、取引名使用届も小堀が「書くべからざるものを書いた」というような言い方ではなかったような気がする旨供述していることや、被告人の不知の間に小堀が石橋に対し本件取引を「三和実業(株)」名義になし得ないかと申入れて、それが結局仮名届(取引名使用届)の作成となったこと、このことを小堀において充分納得していたからこそ同書面上の「下記取引名ま使用します」の「ま」の字をわざわざ「を」と進んで訂正しているとみられることからも、小堀の意思によって右書面が作成されたものと窺い知ることができる。右書面が同一のもの二通作成されて、そのうち一通を被告人が保持していたとしても、被告人としてみれば、小堀の巧言にいいまかされることを防ぐための証拠保存の必要上から保持していたものと考えることもできるので、何等背理ではないといわねばならない。

(六) 検察官は、被告人において小堀に株式売買を委ねたのは、被告人が小堀に傾倒していたからである。これ迄の立花証券(株)における株式売買や岡三証券(株)における株式売買は、いずれも僅かな取引に終始して外務員の染谷徳重や同早稲栗英明の顔を立てる程度、手数料稼ぎを手伝ってやる程度であったが、これらに代るメイン取引として小堀に本件株式売買を任せたものとみるのが合理的である旨主張する。

しかしながら、小堀は、前述したように、元来、株式取引については素人である銀行員に過ぎず、その株式取引の実績すらあまりないうえ、被告人に株式取引の知識がなければ格別、叙上認定のように被告人は長年取引を行なって株式取引に関する知識に通暁していたところからすれば、被告人において小堀に対し取引を委任すべき理由は毫も認められず、それにもかかわらず小堀が被告人名義を利用して本件取引に及んでいるのは、同人が自らの計算で被告人の資金を利用して取引をなしたものであるとみるのが自然かつ合理的というべきである。

従って、被告人の「私としてはただ小堀を助けるために、失脚させないためにカバーしたことがこういうことになってしまった」という供述記載や、小堀に任せてやらせていたら、こんなに損が出る前にとうに止めさせている旨の公判廷供述も、あながち単なる弁解とはいえないものと思われ、寧ろ、小堀に対する貸借であるという供述こそは、まさに正鵠を射ているものといえよう。

(七) 検察官は、被告人と小堀がともに社会的評価を受けていた実業家と一流銀行のエリート行員との間の大人の付き合いであり(このことは符6のテープによっても推認される)、一年間にもわたって小堀が被告人に無断で本件株式売買を続けていたとか、それに対し被告人が適切な措置を取れないでいたなどとは到底考えられないところである旨主張する。

しかしながら、右一年間の売買における過程においては、叙上認定のように、何度にもわたって強く中止を申入れていること、符12手帳に「株中止命令(小堀氏)迷惑の件」の記載のあること、符29小堀関係資料一袋在中のメモの記載内容すなわち、昭和四六年八月二五日現在における一覧表を作成させていることが認められるのである。

のみならず、被告人と小堀との間の電話による通話を録取した録音テープ一巻(符6)によれば、小堀において、半ば強引とさえ言える主導性を発揮して一方的に取引を推進している状況が如実に窺われ、このことからすれば、右録取時(昭和四七年)に比し被告人が一層小堀に心服傾倒していた時期においては、尚更のこと小堀のペースに捲込まれ、たとえ同人のやり口に不満を抱いたとしても、適切な措置を充分に取り得なかったであろうことは、推察に難くないところである。

3  被告人において小堀の行為を事後に追認し、若しくは黙示の承認をなしていたとも認められないこと

叙上認定のとおり、被告人と小堀との間には明白な売買一任勘定による合意は認められなかったのであるが、更に、被告人において、小堀の行為に対し、事後の追認ないし黙示の承認をなしていたとする事実も認めることはできないといわねばならない。

被告人は、検察官に対し、「昭和四六年分については小堀がどんどん私の承諾を得ずに株の売買を続け私は小堀の出した注文を事後承諾する形で取引を認めその決済資金を出していたわけです。勿論、小堀の取引については私の家に売買報告書がどんどん送られて来ますし、その取引のための代金決済も富士銀行馬喰町支店の私の口座を経由して行っており、いわば小堀のやった売買取引を事後に追認していたという意味で私自身の取引であった訳です」、「自分で損をしたくないばかりにずるずると小堀に株の売買取引を続けさせてしまったわけですが、勿論売買報告書は私宛に来ていたわけですし、またその決済資金も私の普通預金口座から出ていたわけで私自身の取引であるということは認めますが、今まで申し上げたように小堀自身が銘柄も数量も指値も自分の裁量で決めて、石橋宛に注文を出していたわけであります。いわば私は小堀に売買をほとんど委せきりにしていたのが実態である」旨供述しているところからすれば、被告人は当初三菱地所株の売却には関与していなかったものの、その後小堀の行為を承諾し、又は追認したのではないかとの疑問があるとおもわれるので、この点につき検討してみることとしよう。

右の事後承認ないし追認という表現の趣旨は、要するに、仮に小堀のなした行為が無効ないし無権代理であるとしても、被告人において事後において追認したことにより、その効果が本人に帰属することとなるから、本件の売買回数の算定においては被告人のなした行為として計算しても何等問題はないというにあるものと思われる。

然しながら、右の追認があったものとされるべき根拠として考えられるのは右被告人の供述からすれば、①売買報告書の送付と②決済資金の出所の二点にあるものと思われるところ、被告人は、当公判廷においては右事後承認ないし追認を明白に否定している。

ところで、売買報告書については、叙上認定のとおり、殆んど封書の開披もされていないのが相当数存在しており、また、被告人名義を利用することを許している以上、売買報告書が被告人方に送付されてくるのは当然であること、しかも仮名取引のなされることが少なくない一般株式取引の実態を考えるとき、右報告書の送付のみを以って被告人の取引なりと論断することは短絡に過ぎるものといわざるを得ない。

被告人は、「委任してやらせた取引なら赤字の取引を一年間も辛抱しない」と供述しており、右売買報告書も開披せずに放置していることは、取引の内容に関心のない証左ともいえよう。

次に決済資金を用立てている点であるが、それは被告人において、小堀に対し損失の穴埋めをさせるための資金を貸付けたにとどまるのであって、被告人は、これまでも小堀に資金を貸付けている事実も認められるのである。

本件が被告人の小堀に対する資金の貸付であると認めた根拠については、叙上縷々説示したとおりであるが、要するに、他人を利用して資金を拠出し自己の取引として自己の計算で行なったか、或いは、他人に資金を貸付けて他人の計算によって行なったものであるかは、単に資金が何人から出ているかによって決すべき問題ではなく、その資金を拠出した者において、自ら表面に株式取引として出ることの支障があるために他人を利用して背後に隠れる必要等があったかどうかを、先ず判定する必要があるといわねばならない。

一般に、右の支障とは、名義を表面に出すことによって何等かの不利益を受ける場合(形式上の必要性)とか、株式取引に無知のためにその取引の必要を認めながら、他人に取引を委ねて収益を獲得しようとする場合(実質上の必要性)が考えられる。

そうすると、本件においては、被告人名義で行なわれ被告人もそれを許容したのであるから、後者の場合に限られることになる。

しかしながら、被告人は本件の起る以前においても、長年にわたって株式取引を行なっており、株式取引については充分に知悉していたのであり、しかも単なる銀行員に過ぎず、これ迄も株式取引において莫大な利益を挙げたというような手腕も窺われない小堀に対し、被告人が自らの取引を一任して委ねて利益を獲得しようとする必要性は全く考えられないところである。絶えず損を繰返す小堀に対し、追認をするということは、その取引を自己の行為として認めるということではなく、自己の資金を勝手に費消した行為を承認した、換言すれば、資金を融通したこととして認めるということの承認か、或いは、小堀が自己の資金に対し大きく穴をあけて損害をかけたが、その損害の填補を免除することの承認ということしかあり得ないことになる。これらは、小堀と従前から親密な交際をしていたことから、そのような態度に出でたことも充分窺知できるからである。けだし、親しい交際をしていたことは、相手方に対し、金を儲けさせてやろうということ、或いは損が発生したとしても宥恕してやろうとするにとどまり、相手方の取引を自分の取引とするかどうかではなく、その取引によって生じた損害を負担してやると考えるのが通常だからである。

換言すれば、小堀のなした取引によって生じた損害について承認するということは、小堀に対し結果として損害を求償しないということにとどまり、それ以上に小堀の行為を被告人の行為として認めることまでも含むものではないといわねばならない。

けだし、完全な追認としての効力を生ぜしめるためには、小堀のなした取引の相手方に対し追認しなければならないところ、本件においては、被告人の右供述は小堀に対して向られているにとどまり、大東証券(株)の石橋に対しては決して小堀の行為を自己の行為として追認してはいないからである。

しかも、大東証券(株)に対しても仮名取引届を提出して、右取引は小堀の取引である旨を申立てているのである。

なお、石橋は検察官に対し「昭和四六年中に戸栗さんには二〇回くらい逢ったが、その度毎に戸栗さんから小堀が株の売買を勝手にやっていると言われたことは一回もない」と供述しているが、それは被告人が小堀に資金を融資していたからであって、右供述の存在は上記認定を左右するものではない。

以上のとおり、被告人の追認は仮りになされたとしても、それが相手方に対しなされていない以上は完全な追認としての効果がない。従って、被告人の「私自身の取引であると認める」旨の供述記載はあるとしても、それはその前提として、売買報告書と決済資金の二点によって、検察官の誘導によりその時点でそのような供述をさせられたにとどまり、追認としての何等の効果もないことは明白であるといわなければならない。

なお、被告人の検察官に対する供述中に、追認とあることから、被告人において、小堀の無断取引につき事後による追認がなされた以上、被告人に対し遡及して効果が生ずるので責任を免れないとの論があるかもしれないが、しかしながら、仮に被告人において右小堀の行為につき追認があったとしても、刑事責任はその行為のなされた時点においてその有無を判定するものであって、後になされた承認は決して遡及しないものであるから、いずれにおいても被告人に対し責任を負わせることはできないといわねばならない。

なお、小堀において富士/馬喰町から戸栗名義にて一億円の仮払を受け大東証券(株)に対する株式買付代金に充当し、或いは三和実業(株)預金から三八〇〇万円を引出し、殖産興業(株)から四六年暮頃六〇〇〇万円を借受け、四七年一月頃、三和銀行池袋支店から東急電鉄株券を担保に二二九〇万円を借受けたことが認められ、これらにつき被告人がその後においてこれを容認したり、または三和銀行に対し小堀は自己の代理人であると申述べた事実は認められるが、しかしながら、前示のとおり、これらはいずれも、被告人において小堀に対する株式取引のための資金援助をしてやったに過ぎないものとみることができ、その間に、小堀のなした戸栗名義の取引がすべて自己に帰属する取引であることを認めたことを窺わせる事実は何等存しないから、これらの資金の動きのみをもってしては、前記認定を左右するものではない。

第四売買回数の判定基準

叙上認定の事実によれば、大東証券(株)における取引のうち、昭和四六年二月から同四七年二月始め頃迄の一年間の取引は小堀のなした取引と認められるので、本件売買回数の算定からこれを除外することとなるが、その余の各証券会社における取引については、右小堀の取引とは関係がなく被告人の取引と認められるので、次に雑所得となるべき売買回数が存するかどうかを検討することにする。

一  当事者の主張

1  検察官の主張

検察官は、株式売買回数の判定基準については、昭和四五年七月国税庁長官の制定した所得税基本通達九―一五によるべきであると主張する。すなわち、右通達によれば、証券会社に委託して株式の売買を行なった場合は、後記売買一任勘定取引を除き、原則として委託を受けた証券会社が行なった売買の回数にかかわらず、委託者と証券会社との間の委託契約ごとにそれぞれ一回と判定することとなる。この場合において一つの委託契約であるか否かは、原則として「注文伝票総括表」によって明らかにすべきであって、委託の際に証券会社から交付を受けた「注文伝票総括表」に記載されている内容に従って行なわれている取引は一つの委託取引に基づく取引とされる。この場合、当該「注文伝票総括表」に記載されている銘柄にかかる取引が二回以上にわたるときは、その銘柄にかかる売買報告書には「内出来」である旨の表示をなすべきこととされている。売注文と買注文とは、それが同時になされた場合であっても、委託契約はそれぞれ一回として計算し、また、委託契約の内容につき、重要な要素の変更が行なわれにとき(例えば銘柄の変更、「ウリ」と「カイ」の区分の変更、数量の増加、指値の変更等)は、その変更のときにおいて別個の委託契約が締結されたものとすることができる。売買の別、銘柄、数量および価格の決定を証券会社に一任して自己の計算において取引を行なういわゆる〈売買一任勘定取引〉を行なった場合には、その委任にもとづき証券会社が行なった売買に関する取引の成立ごとにそれぞれ一回と数えるということになる。

そうすると、売買回数の判定に当たって最も問題となるのは、委託契約の回数をいかに明確化するかということである。

しかして委託契約の個別性は、前記通達の趣旨を参酌しながら、その他の証拠を仔細に検討したうえで、注文時の具体的状況、注文伝票記載の注文時刻・銘柄・数量・指値の有無・その価格・取引の種類(「ウリ」と「カイ」、現物と信用の区分)等を総合して判定すべきこととなる。この場合最も重要なことは、委託契約の回数は、委託者側からみると銘柄、株数、価格、「ウリ」と「カイ」の別、現物取引と信用取引の別、注文期間等を要素とする注文の回数に還元される訳であるが、その注文の内容は、銘柄、株数等の右諸要素が特定されていなければならないということである。右諸要素が特定されていないのにかかわらず、それをも一つの委託であるとみるならば、大規模かつ継続的な取引による利益を課税の対象としようとする法の趣旨を没却してしまうことになるからである。従って、前記通達に明示されている①銘柄、株数、価格、「ウリ」と「カイ」の別、注文期間等すべてを証券会社に一任して自己の計算において行なういわゆる〈売買一任勘定取引〉はもとより、例えば②一定の金額内で、銘柄、株数、「ウリ」と「カイ」等を一任する取引、③銘柄のみ指定し、株数、価格等を指定しないで継続的に売買を一任する取引、④銘柄と一定の金額(予算)を指定し、株数等を指定しないで継続的に売買を一任する取引、⑤銘柄と株数を指定し、価格等を指定しないで継続的に売買を一任する取引等は、いずれも委託契約の成立に必要な要素が特定されていないことになるから、証券会社の行なった取引の成立ごとに一回の売買があったものとして計算し、継続的取引に該当するか否かを判断するのが妥当であると主張するのである。

2  弁護人の主張

これに対し弁護人は、顧客から証券会社に対して株を売るとか買うことの法律行為を委託することで契約は成立するのであるから、株式売買回数の判定基準は、その委託ごとに一回と数えるべきであると主張する。

弁護人の主張する論拠を要約すれば、以下の如くである。すなわち、検察官は、委託契約が成立するためには銘柄、株数、価格、売買の別、現物信用の別、注文期間等の要素が特定しなければならない。そうでなければ大規模かつ継続的な取引による利益を課税対象としようとする法の趣旨が没却されると主張するが、所得税法、同法施行令のいずれをみてもそのような制約はなく、国税部内の事務運営指針である国税庁長官通達にもない。そもそも国税庁長官通達で課税条件を加重軽減することが許されるか疑義がある。租税法律主義との関連において、株式譲渡益非課税の原則をそのままにしながら長官通達の改正で漸次課税条件を加重している経過にさえ疑問を抱くのに、検察官の主張に至っては、国税当局の実情をすら無視した立法論で被告人を罰しようとするものである。契約は元来自由の原則に守られているものであるから、どのような委託によったか、その委託ごとに回数を数えるべきである。

株式売買回数の認定の問題の解明には昭和二八年に行なわれた所得税法改正にまで遡って考慮しなければならないと思料するものである。特に右改正に当り、有価証券の譲渡所得を所得税法上非課税とする原則を打出し、特別措置法による臨時的処理の扱いにしなかったことを指摘したい。有価証券譲渡についての非課税は税務行政運用上の問題と、株式市場育成なる政策的配慮によったものであり、これを廃止して右に代るものとして有価証券取引税が新たに制定され、譲渡者に対し売買損益に関係なく課税することとしたものであって、正に譲渡所得税に代る役割を果す姿勢をとったのである。個人による証券投資即ち株式売買は有価証券取引税を課することによって所得税の対象から除外することが国益に合致するとの判断に立ったものと理解され、ただ税法理論の筋を通すために継続的取引行為についてはこれを課税対象になしうる例外措置を設けた。

昭和三六年三月の所得税法改正においても、有価証券譲渡所得非課税の規定は変らず、僅かに従来通達で運用されていた継続的行為の判定基準を施行規則に組入れ法文化したことに伴い、通達(昭和三六年一二月一二日付)も「証券業者に委託した株式の売買については、その委託に基づいて証券業者が行なった取引の回数にかかわらず、委託者と証券業者との間の委託契約ごとにそれぞれ一回とする。ただし二以上の銘柄の売買の委託が行なわれたときであっても、それが一括して一の委託契約に基づいてなされたものであることが明らかでないときは、その銘柄ごとに一回とする」とされて課税対象とすることに向って一歩前進の姿勢を示した。その後、国税庁長官より各国税局長にあてて、右二以上の銘柄を一括した委託契約であることの立証資料として証券業者が「注文伝票総括表」なるものを作成することになったとして、その周知方につき文書が発せられた。昭和四〇年三月の所得税法改正においても、有価証券譲渡所得非課税の規定は変らず、これが運用通達として、昭和四五年七月になって、基本通達九―一五が制定されたのである。しかし右基本通達においてはじめてとりあげた重要な要素の変更について何等解説されていず、業界の末端における周知方法をみても、その内容に重要な要素の変更、売買一任勘定取引については全く触れていない。以上のとおり検察官の主張は、株式譲渡非課税の原則をそのままにしながら長官通達の改正による課税範囲の拡張という経過に疑問があるのに、更に、課税当局の課税実情を無視したものといえるのである。

しかも被告人は、株式の売買益が取引回数のいかんによっては課税の対象となることを知らなかったのであると各々主張する。

右両当事者の主張に対し当裁判所は次のとおり判断を示すこととする。

二  当裁判所の判断

1  回数計算の基本的態度

所得税法上、有価証券の調渡による所得は原則として非課税とされている(法第九条第一項第一一号)。これは、昭和二八年以来実施されているが、その根拠とするところは、有価証券の譲渡所得が、その性質上、税務官署による調査がいたって困難であり、取引の変動、権利落ちや無償交付の還元の仕方等所得計算の複雑困難な問題があって公正な課税が殆んど不可能に近いこと、他面、当時の自己資本の充実、資本蓄積を必要とする経済的要請から一般投資家の企業への投資を誘い、大衆資金の導入による健全な有価証券市場の育成に資することにある。そのため、これが代替としての有価証券取引税の実施を機会に、有価証券の譲渡所得を非課税とするとともに、有価証券の譲渡による損失についても所得から差し引かないこととされた。従って、有価証券の譲渡については、寧ろ、その取引の都度課せられる有価証券取引税(有価証券取引税法第一二条第一項)によって、売却損益の如何を問わず一律に課税することが却って負担の公平に合致するものとされたのである。

しかしながら、営利を目的として株式を頻繁に売り買いし株式売買を常業として利益を挙げている者に対してまでも非課税の扱いをすることは、前述した大衆資金の導入による企業の資本蓄積を目的とした健全なる有価証券市場の保護育成とは制度の趣旨を異にするものであること、また、他の営利を目的とした事業所得等との権衡上、公平な負担という原則に反することから、法は、株式売買益が継続してなされたことによる場合には例外として課税するものとし(法第九条第一項第十一号イ)、これを受けて施行令第二六条第一項は、課税対象となる有価証券の継続的取引から生ずる所得の範囲について「有価証券の売買を行なう者の最近における有価証券の売買の回数、数量又は金額、その売買についての取引の種類及び資金の調達の方法、その売買のための施設その他の状況に照らし、営利を目的とした継続的行為と認められる取引から生じた所得とする。」と規定し、その実質的基準を明らかにしている。そして同条第二項は、その年中の取引の回数が五〇回以上であり、かつ、その年中の売買をした株数又は口数の合計が二〇万以上である場合には、その他の同条第一項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は、同項の規定に該当する所得とする旨の形式的基準を定めているのである。

従って、右の形式的基準に該当する場合には、実質的基準の如何を問わず、営利を目的とした継続的な有価証券の売買から生じた所得と看做して課税の対象としているのである。

しかしながら、右形式的基準に該当すれば、継続的な取引による所得とされ、所得税法の有価証券の譲渡による所得非課税の原則にもかかわらず、その形式性の認定によって、本来非課税であるべきものが例外として課税の対象とされるのであるから、租税法律主義の見地よりすれば、その解釈、適用については厳格に解することが必要であるといわねばならない。

けだし、有価証券の譲渡による所得の非課税の代替として施行された有価証券取引税が、その売買益の有無を問わず譲渡の都度課税されており、それによって一応租税法の原則である公平の負担が満たされていること、更に、周知のように、有価証券、就中、株式の売買によって所得を証券取引市場から得られる者の数がいたって少なく、大方の者が損失を蒙っていること(わが国の証券投資者たる大衆の数は数百万人以上といわれているが、それによって巨額の富を築く人のいたって少ないことがその証左の一つともいえよう。)、株式の市場価額は、企業の業績のみならず、予測し得ない経済、政治、社会変動によって大きく左右されるから、その年分において売却益を得たとしても、翌年には損失の生ずることも少なくなく、しかも、株式の売買が事業所得と認められず雑所得とされる場合には、損益通算がなされず(法第六九条参照)、利益の生じたその年分のみ課税され、損失を生じても何等考慮されない不都合の生ずること、右五〇回の売買回数においても、「ウリ」のみならず「カイ」も算入され、いわゆる信用取引にあらざる現物取引においては、右「カイ」のみでは収益は生じないので、従って、担税力を基礎とする所得税法の所得概念からみて必ずしもこれと直接に結び付くものではなく、しかも、五〇回の売買回数かつ二〇万株の株数による取引のみをもってしては、未だ所得税法における事業所得を生ずる事業性があるとは社会通念上一般に云い得ないこと等の理由の存在することから考えれば、そのような事情を何等考慮することなく、検察官所論の如く「元来有価証券の譲渡による所得を非課税とすることについては合理的理由にとぼしい」とする立法論的発想の下に安易に、右形式的基準の解釈を弛緩せしめるにおいては、非課税を原則とする現行法を離れて、単に、施行令としての性質を有するに過ぎない形式的基準の要件を不当に拡大させて法の委任の範囲を超え、租税法律主義に背馳することにならざるを得ないからである。

2  回収計算の判定基準

叙上説示の理由により、法第九条第一項第一一号イ、令第二六条第二項所定の株式売買回数の判定基準については、以下の如く解するのを相当とする。

すなわち、顧客(以下「委託者」という。)が証券会社その他の者(以下「受託者」という。)に委託して株式の売買を行なった場合には、銘柄、株数、価格、「ウリ」と「カイ」の別、注文期間等、すべて受託者に一任して自己の計算において行なう取引、すなわち「売買一任勘定取引」による場合を除き、受託者が行なった売買の回数にかかわらず、委託者と受託者との間の委託契約ごとにそれぞれ一回と判定すべきである(検察官主張の判定基準は、右と一致する限度において相当である。)。

この場合において、外形上数回の株式取引に見えるものが一個の委託契約に基づくものであるかどうかは、当初の注文時における委託契約の内容、趣旨によって定まるべきものであり、それは個々の場合における具体的事実認定の問題に過ぎないというべきである。けだし、証券会社を介して株式の売買を行なうといっても、それは、受託者である証券会社が委託者のために委託契約に基づき、株式の購入、同売却という法律行為その他の事務を実施しているのにほかならないから、委任事務の内容は、どのような契約によって事務の処理を委託されたかによるからである。

右のように、株式の売買という一定の事数の処理を委託するのであるから、それは、株式の売買という目的に従って最も合理的に処置することを相手に委せることになる。そのために、受託者の給付すべき労務は、右の株式の売買事務の処理という目的の下に統一され、ある程度まで受託者の独自の判断によって適宜になされることになるのである。換言すれば、受託者は、ある程度の自由裁量の権限を有し、委託者の指図だけに頼ることなく、一定の信任関係のもとに委された事務を、その目的に従って、最も合理的に処理する権利、義務を有するのである。そしてそれは委託者の計算によってなされるものである。

しかして受託者は、委託者において具体的に指示を与えたときは、一応これに従うべきであるが、その指示の不適当なことを発見したときは、直ちに委託者に連絡して指示の変更を求めるか、または急迫な事情がある場合には、臨機の措置を講じて、委託者の信頼に応えるように務めるべきであり、また、受託者が処理すべき事務の範囲も、委託者の指示した範囲を超えなければ委任の終局の目的を達し得ない事情があれば、その範囲を超えて処理すべきなのである(商法第五〇五条参照)。

このように、受託者は善良なる管理者の注意をもって事務を処理すべきであるが、その背景をなすものは、飽く迄も委託者の意思の確認が基礎とされるのであって、委託者の意思を離れては存在し得ないのである。このことは簡易な注文で容易に金額の大きな取引が成立する株式取引においては最も重要な事項である。

以上を要約すれば、取引回数は委託契約の個数(回数)によって、委託契約の個数は個々の委託契約の趣旨によって、具体的に判定すべきであるということになるが、この関係を、やゝ具体的な例示を用いて説明すれば、以下の如くである。すなわち、①一回の委託契約で二銘柄以上の株式の売買を注文しても、一回の委託契約に基づく取引の約定が一度に成立せず、数回に分けて執行されても、これらの取引があくまで当初の委託契約の趣旨に含まれていたものと見られる限りは、委託契約は一個で取引回数は一回と判定すべく、②「A電力株」買付の委託に対し「B電力株」の買付がなされたとすれば、銘柄の変更に伴い新たに別個の委託契約がなされたものと見られるのに対し、当初の委託契約の趣旨が「電力株一万株」の買付というのみで個々の銘柄まで指定していなければ、その趣旨の範囲内でどの電力会社の株式を買付けようと、重要な要素の変更があったものとは見られず、一個の委託契約の執行による一回の取引と目すべきであり、③大量の買付による株価の高騰を防ぎ、指値の範囲内で買付を執行するための手段として、後述のいわゆる「冷し玉」としてなす売付も、当初の買付委託の趣旨に当然に包含されているものと認めることができるし、④一定の金額を指示し、その範囲内で特定銘柄の買付を委託した場合において、当該銘柄の株価が低落したため当初予定したより多くの株数を購入し得たとしても、増加分につき新たな委託契約がなされたものと見るべきではなく、当初の委託契約に基づく一回の取引と解するのが相当である。

このように考えれば、検察官の主張するように、一律に「委託契約の内容につき、重要な要素の変更が行なわれたとき(例えば銘柄の変更、「ウリ」と「カイ」の区分の変更、数量の増加、指値の変更等)は、その変更のときにおいて別個の委託契約が締結されたものとする」のは、必ずしも当を得ないこととなるといわざるを得ない。

また、「注文伝票総括表」の作成の有無、売買報告書における「内出来」の記載の有無等は単なる立証方法の問題にすぎないから、右の存在の有無は何等直接に委託契約の回数の認定を左右するものではない。検察官引用にかかる前記国税庁長官の通達はこれらの点に言及しているが、行政庁の通達は単に上級行政庁が下級行政庁に対し、その所掌事務に関し指揮命令をする訓令たるにとどまり(国家行政組織法第一四条第一項)、何等納税者たる国民一般を拘束するものではないから、たとえ証券業界において右「通達」に拠って証券取引実務が行なわれているとしても、当裁判所の認定に何等の影響を与えるものでもない。

なお、検察官は「注文伝票総括表」の存在する場合には、右によって一回の注文と算定し、右書面が存しなければ取引の成立毎にその回数を算定するのが実務の取扱いである旨、通達を根拠に主張するが、しかしながら、右通達は、昭和四五年七月頃に出されたものであるのみならず、証券業界においては、これ迄右総括表は殆んど一般人に周知されていず、外務員自身においてすら右の存在を知らないか、或いは、取引のい縮による手数料の収入減を惧れて告知もしないことが通例であって、被告人自身も、昭和四七年秋頃、山一証券(株)の坂場から右書面の存在を知らされ、石橋に問い糺したところ、石橋自身すら、そのことを知らず大東証券(株)の係にその点を確かめやっと始めて知ったような事情が認められる。

右のような事情のもとでは、到底「注文伝票総括表」という書面の存在を根拠とする主張立証は、採用しえないのみならず、しかも右書面は単に回数算定の立証の手段に過ぎないのであるところ、本来、一個の取引であれば「ウリ」であろうと「カイ」であろうと同時成立(いわゆる乗換え)である限り、同一書面上にその旨記載すべき筋合であるべきに拘らず、別々の書面に、その作成を求めていることは、「ウリ」と「カイ」を何等の根拠もなく別個に取扱おうとする徴税当局の誤った行政指導によるものであって到底株式売買の回数算定のために利用できないものといわざるを得ない。

一個の委託注文契約において「ウリ」と「カイ」を同時に行なういわゆる「乗り換え」と称する、“手持株の変更”のための注文も、それが同時に行なわれるかぎり一個の注文契約であって一回の売買回数であり、「ウリ」と「カイ」を別個の二回と算定する理由は全く存しない。

検察官は、「委託契約の回数でもっとも重要なことは、委託者側からみると銘柄、株数、価格、売と買の別、現物取引と信用取引の別、注文の有効期間等を要素とする注文の回数に還元されるわけであるが、その注文の内容は、銘柄、株数等の右諸要素が特定されていなければならないということである」旨主張するが、確かに、それらの点は契約の内容の重要な部分を示すことは否定しないが、前述したように、単に、金額のみを示して株式の注文をする場合もありうること等を考えれば、結局は、委託契約の個別性は当該契約締結時のあらゆる事情を総合して個々的に判定すべき事実認定の問題に過ぎないといわざるを得ない。

検察官は、一回の注文において数回に分けて売買を執行するように委託する場合もあるが、前記のような諸要素が特定されていない限り、単に委託契約が一回であるから売買回数も一回であるとみることは妥当でなく、取引成立ごとに売買回数を数えるべきである。つまり、数回に分けて注文を実行に移すそれぞれの時点で、株価の動向、相場の状況を判断しつつ売買を執行するのであるから、当初の注文時において委託契約の内容を特定することは不可能であって、自ら包括的な委託契約とならざるを得ないからであると主張する。

しかしながら、右主張は、その前提において「要素の特定」という独自の所論に立脚するものであって妥当でなく、株価の変動を伴う経済界の状況等や、その日の寄付値、成り行き注文の状況等をみながら、場合によっては一回の注文において数回に分けて売買を執行するように委託することもあり得るのであって、時間的にも刻々変動する証券取引市場における株価の性質からすれば、通常の取引のような或る程度安定した状態であれば、検察官の主張するような「要素の特定」もあり得るとしても、右株式取引の実態に照らせば、必ずしも一律に処し得るものではなく、個々の取引毎にその内容を判別する必要があることが株式取引の特徴なのである。

三  一括委託注文の本質

1  一括委託注文の処理

叙上説示したように、売買回数算定の基礎となる委託注文については、これをどのように捉えるかは委託者と受託者間の契約意思内容如何によって決まるものであって、単に個々の取引毎に指値が異なったり、注文日時が若干異なっているからといって、直ちにそれぞれが別個の注文となるものではないと解するのが相当である。

けだし、証券取引市場における価格の形式は、叙上縷説の如く、経済界の状況如何は勿論のこと、大量の株数の買付、売付の注文の執行によって直ちに価格の変動を生ずる等、刻々と値段の変更を生ずるため、そこに成行き注文(値段を定めずに注文する)や指値注文のほかに、計らい注文(値段の上限と下限を定めたり、希望値段の上下に幅をもたせる注文)や、時に、まとまった一定株数を取得するに当たって価格の高騰を防ぐための手段として、いわゆる「冷し玉」という方法による売付を介在させる場合すら存在する。すなわち、同一銘柄につき、一定の株数を取得するために、時に市場の成行注文数等需給の状態をみきわめながら、突如指値を変更したり、一時注文株数を変更し、値段を下げさせるために大量の玉(当該銘柄株式)を売り浴びせて相場を冷したりすることも有り得る。これら各場合も、結局、当初の委託の趣旨に基づき、或る銘柄を予定資金の範囲内において、一定数量を買付けるための手段としてなされている限り、当初の委託契約の中に含まれていると解することができるからである(「冷し玉」につき、別表9の番号59「上毛撚糸」株参照)。従って、「指値」の変更が直ちに契約の変更をもたらすものではなく、たとえば、前回注文時の価格の半分程度の値段で次回に注文がなされている場合のような著しい値段の変更がなされているときに限って、通常は改めて注文がなされたものと推認されるにとどまる(《証拠省略》によれば、金額の限度についての重要な要素の変更として、少なくとも「時価の半分」の尺度が妥当であるとする。)。

それでは次に個々の取引例を検討してみよう。

2  弁護人の主張に対する判断

弁護人は、たとえば別表1の番号12、13の如きは、北越製紙株二五万株を売却した代金額の範囲内における予算枠において財投関連株である熊谷組に乗換えることにしたものであって、「ウリ」「カイ」とも価額は一任し、その数量は北越製紙の売却代金を予算枠として委託したものであるから、従って、北越製紙株の売付行為、熊谷組株の買付行為はいずれも被告人の立花証券(株)に対する委託契約としてはそれぞれ一行為であると主張する。

しかしながら、熊谷組の買付注文は昭和四五年四月二八日から同年六月一一日迄の約一ヶ月半に及んでいること、その間に同様の財投関連株として前田建設の買付(別表1の14)もなされていることからみれば、必ずしも北越製紙株の予算枠に限られないと認められるので弁護人の主張は採用できない。

3  検察官の主張に対する判断

検察官は、委託者において買付(売付)注文をなし同日中に注文株数の全部が成約されずに、その一部のみが成立し残株につき、たとえば五日後に成立し、その間に指値の異なったような場合には委託契約の内容について重要な要素の変更があったこととなるから、それぞれが別個の委託契約である旨主張する。

しかしながら、当初の委託契約における買付(売付)注文株数に対して、市場において実際に成約された株数が、その当日分だけでは約定された予定株数に達しなければ、注文期限を定めない限り、特段の事由のない以上は、当初の委託契約が、約定した株数が成約するまで当事者の意思解釈として続行しているとみるのが通常であるから、注文株数の範囲内である限り、日時を隔てていても、原則として当初委託契約に基づく残株の執行と解するのが相当である。指値の異同は、その金額に著しく変更のない限り、それ自体別個の委託契約とみることができないことは叙上説示したとおりである。

なお、注文期限を定めなければ、実務上、一ヶ月以内を有効期限とされる扱いのようであるが、しかしながら、元国税局係官倉又光雄の供述において、外務員が約半年かかってようやく一〇〇〇万株買集めた例にかかる回数の計算につき「一か月以内に有効期限がある……それは証券会社自体のことだというふうに理解しておりまして、その場合でも、やはり期間が長くても一回と考えるべきだと思います」というように、それは当初委託の趣旨、内容で定まるのであって、右実務上の慣例は、証券会社の内部事務処理の便宜に過ぎないし、たとえば、大量の株数注文の場合とか、一日の取引量が稀少のような銘柄について、まとまった数量を注文する場合等には、いずれも当然にその執行には相当長年月の日時を要するのであるから、右一ヶ月という期間の実務上の慣例はあるとしても、それは当事者間の意思に基づく委託契約の内容を制限するものではなく、何等当裁判所の認定を拘束しない。

更に、当初委託契約にかかる注文数が成約できず、その一部のみが成立した場合に、その後において残株数を超えて同一銘柄につき注文のなされることがある。

かかる場合、検察官は新たな委託注文である旨主張しているが、右の事実のみを以て直ちに新たな注文とみるべきではない。けだし当該銘柄が発行株数が少ない(いわゆる浮動株が少ない)場合には、一度に多量の注文を入れることによって、たとえ指値をしたとしても、それによって著しく株価に変動を生ずることが少なくないし(第二部市場では、このような傾向がみられる。たとえば別表1の番号61の「滝沢鉄工」は二部上場株であるが、指値買付をしても成約が少ない。)、或いは相場の変動時には、株価の上昇下降がストップされ、証券取引実務上、注文数に応じ比例配分によって成約されるケースもあり、このような場合には、何回にもわたって多めに注文を出して当初の予定株数を確保しようとすることがあるからである。このような事情もあることからも、単に残株以上の株数の注文であるからといって、直ちに別個の契約とみることはできない。従って、叙上説示したとおり、委託契約の個数は、委託者と受託者の当該契約の内容を充分吟味したうえで決定する必要があるのである。

四  公募株の取扱いについて

弁護人は、公募新株の引受行為は株式売買には当らない、公募新株は幹事会社において一括買取り引受けし、これを得意先に引受価格で割当てるものであり、それは引受けの肩替りと理解されているのである。さればこそ有価証券取引税法においても第八条第六号によって非課税譲渡として取引税を課徴していないと主張する。

しかしながら、ここにいう公募新株の引受とは、新株の発行に際し、公募株の全部を一括して引受業者たる証券会社が自己の名義で買い取り、これを一般投資家に対して取得価額と等価で応募者に分売するもの、すなわち一般に買取り募集といわれるものであり、既存株主に対する割当ではなくその本質は売買取引であって所得税法施行令第二六条第三項に定める除外すべき売買に該当しないことは明らかである。

なお右は、有価証券取引税法第八条第六号の売出の方法による有価証券の発行とはその範囲を異にするのみならず、同法と所得税法とはその性質を異にするから右有価証券取引税法を以って非課税の根拠とはなし難い。

なお、既存株主に対する割当たる有償増資の場合には、売買回数に含まれないと解するのが相当である。けだし有償増資は、公募増資とは異なって当該株主に新株引受権が当然の権利として保有され、この場合の新株引受は社団法上の行為として売買とはその性質を異にし、必ず割当を受け、そこに引受についての選択の自由がないからである(株主において払込みをしない自由はあるが、そうすると失権し、持株も権利落ちによってプレミアム相当分だけ時価の低価をきたし、損失を蒙むるので払込みが事実上強制されるに過ぎない)。

よって、弁護人の公募株に関する主張は失当たるを免れない。

第五各年分の売買回数

それでは次に、前示当裁判所の示した算定基準に従い、昭和四五年分、同四六年分及び同四七年分における各株式取引の売買回数につき検討することとする(なお、その検討結果は、本文に詳説するほか、別表13各欄算定理由欄番号たとえば1に対応する別表13「売買回数算定理由書」の①該当欄を参照)。

一  昭和四五年分の売買回数

1  争点

昭和四五年分における被告人のなした株式取引の回数について、検察官は、立花証券(株)に委託しての取引の回数五一回、岡三証券(株)委託一回、相対売買七回の合計五九回の取引があったので課税の要件たる継続的取引に該当する旨主張する。

これに対し弁護人は、立花証券(株)に委託してなした株式売買の回数は二三回であり、相対売買も実質的には五回とみるのが相当であって、昭和四五年中における被告人の株式取引回数は年間五〇回に満たないのであるから、被告人の同年中の株式売買益は非課税の扱いとなるべきものである旨主張する。

2  昭和四五年分証券会社に対する委託売買の回数

そこで立花証券(株)に対する株式売買回数について検討するに、立花証券(株)における取引は専ら外務員の染谷徳重を介して行なっていたものであるが、同人は既に死亡しているため、同人の供述から右回数を算定しえない。

そこで顧客勘定元帳、各注文伝票、被告人の捜査段階の供述、被告人の二四回公判、当公判廷の供述等を総合して認定することとなる。

争点とされているのは、北越製紙株の「ウリ」(別表1番号4~11((なお番号欄掲記の数字は検察官論告要旨別冊売買回数表の番号を示す)))、熊谷組株の「カイ」(同12、13、25、26、28、32、34)、前田建設株の「カイ」(14~18)、前田建設株の「ウリ」(21~23)、再度の前田建設株の「カイ」(27、31、33)、清水建設株の信用の「カイ」(36、38、39)、清水建設株の信用の「ウり」(40、41、64、65)、清水建設株の「ウリ」(66、67)、三光汽船株の信用の「カイ」(44、45)、三光汽船株の信用の「ウリ」(46~48)、大日本土木株の「カイ」(50~60)、大日本土木株の「ウリ」(77、78、84~86、88~90)、滝沢鉄工株の「カイ」(61~63)、滝沢鉄工株の「ウリ」(68、69、72、79、80、83、87)であって、弁護人はいずれも各一回とすべき旨を主張する。

検察官の主張する回数の根拠は、叙上のとおり売買回数判断基準に依拠するものであるが、それが失当であることは既に説示したとおりである。

要するに、同一銘柄につき数回にわたって「ウリ」若しくは「カイ」のいずれかが執行されている場合に、前後の取引を通じて、注文株数等からみて、それが先の委託契約における残株についての再執行と認められれば、一個の委託契約にもとづく売買とみて、売買回数はあわせて一回と認定できるのである。そのため、同一銘柄の数回にわたる本件売買についても、それぞれ個別的に注文日時、株数等を吟味し、後の売買が先の委託契約の範囲内に含まれる売買か、あるいは新規の委託契約にもとづく売買かを判断することとなる。

右前提に立って立花証券(株)における売買回数を検討すると、その争点とされる個々の取引の相当数につき、別表1の算定理由欄に記載したとおり、一個の一括した委託契約に基づく数次に亘る執行と推認されるケースが少なくない。

なお立花証券(株)の小笹博の供述記載は、担当者たる亡染谷から確かめたというのではなく、単に注文伝票の外形から推論したにとどまるので、当裁判所は同人の算定方法は採用しない。

そうすると、同年分における同証券における売買回数は、別表1記載のとおり三九回と認めるのが相当である。

3  昭和四五年分相対売買の回数

検察官は、相対売買の回数は七回である旨主張するところ、弁護人は、それは実質的には五回とみるのが相当であると主張し、その理由として、中島寿秀は小佐野賢治の秘書であって中島に対し殖産住宅株を計三万株売渡したことになっているが、それは前年一二月に小佐野賢治に売渡した同株式一〇万株の追加取引であって実質的には小佐野に対する売渡しである。この取引は、昭和四五年中に同株式が新規上場することを条件としていたため、同年一〇月三〇日条件不成就を理由として譲渡価格に銀行利子を加算した額で右一三万株を小佐野から買戻したのである。従って中島に対して売渡した計三万株が一行為、小佐野、中島から買戻した一三万株が一行為とみるべきであるというにある。

よって検討するに、《証拠省略》によれば、前掲条件不成就を理由として小佐野において一三万株を一括して売却したことが認められ、右は三万株についても実質的な買主が小佐野であることを示すものであるから、小佐野、中島から買戻した一三万株にかかる取引は一行為とみるべきである。

なお、実質的取得者が小佐野であるとしても、同株式の買付については、一月二三日二万株、同月三〇日一万株と別個の契約によって各取引がなされていると認められるので三万株の売却については二行為とみるのが相当である。

そうすると、昭和四五年分相対売買の回数については六回と認められる。

4  総括

以上によれば、立花証券(株)分三九回、相対売買分六回に双方争いのなく、また当裁判所も証拠によって認定できる岡三証券(株)分一回を合計すると、昭和四五年分の売買回数は合計四六回と認められる。

二  昭和四六年分の売買回数

1  争点

昭和四六年分における被告人のなした株式取引の回数について、検察官は立花証券(株)六回、岡三証券(株)三三回、大東証券二三八回とし、相対売買八回を加えて同年分中の売買回数が二八五回となるので継続的取引に該当する旨主張する。

これに対し、弁護人は、立花証券(株)五回、岡三証券四回、大東証券(株)零回、相対売買六回の合計一五回であるから、年間五〇回に満たないので同年中の株式売買益は非課税である旨主張する。

2  昭和四六年分証券会社に対する委託売買の回数

(一) 立花証券(株)における株式売買回数について

立花証券(株)における株式売買のうち先ず争われるのは、熊谷組株の売付(別表2番号2、4~6)の回数についてであり、検察官は二回の売買と主張し、弁護人はあわせて一回とすべき旨主張する。

右弁護人の主張を検討するに、別表2理由欄⑭記載のとおり、番号4、5の注文は、同2の注文の売り残株以上の株数を指値を変えて注文したものと認めることができるので両者別個の委託にもとづくものと認められる。

従って、同証券における売買回数は、別表2のとおり、六回と認められる。

(二) 岡三証券(株)における株式売買回数について

検察官は、岡三証券(株)における売買回数は三三回と主張し、その判定理由として、当該日時における買付ないし売付注文につき、それ以前における同一銘柄との対比において専ら注文残株数の有無、指値の変更を根拠としている。

しかしながら、同年分における銘柄をみると、別表3のとおり、日本信販株、日本毛織株と後楽園株の三銘柄のみであって、しかも後楽園株の注文回数一回を除いてはその余の両銘柄につき主に一〇月以降買付と売付を繰返しているのが特色である。

(1) この点につき、同証券(株)の外務員早稲栗英明は、日本信販株については「七月一四、五日頃、戸栗の自宅で戸栗から、その株を一〇万株、値段は平均して四〇五円~六円になるように買ってくれと注文を受け出来高欄のとおり買付をしました」と供述しており、被告人もほゞ右にそう供述をしているところからみれば、同銘柄一〇万株買付の一括注文を受けたものとみるのが相当である。

そうすると早稲栗は、右注文の執行として被告人の有利となるような買付をするために、場の状況をみながら指値を変えつつ買付をしたとみるべきであるから、右指値の変更は新たな委託契約に基づくものではなく、一括注文であるとの前示認定を左右しない。従って、日本信販株にかかる注文は、七月一五日から同月二四日までの間を一括して一回と認められる。

(2) 日本毛織株について、右早稲栗は被告人から「一五、六万株から二〇万株を買って、売ってくれとこういう注文でした」、「一応一五万株から二〇万株までと、そして買って売ってくれとこういった範囲内のワクをはめられた」と供述しており、被告人も同人に手数料を稼がせてやろうと思って注文したとしてこれに符合する供述をしている。

右によれば、同銘柄を最高二〇万株迄を限度として買付注文をなし、利が乗った場合には右銘柄の売付を注文したものとする買付一回及び売付一回の一括注文をしたものとみるのが相当である。

なお早稲栗は検察官に対し「昭和四六年一一月二二日ころ電話注文でその株式を最低五万株にしておき最高を二〇万株位にするように値段はまかせるから適当にして取引をして欲しいという普通に売買一任取引というかたちの注文があり」旨供述しているが、しかし同人は、公判供述においては、最低一五万株最高二〇万株の範囲内で買ったり売ったり君は全然任せるという表現とは違うとし、「買ったり、売ったりということは確かに言わなかったと思います、買って売ってくれということだったと思います」と供述し、前記検察官に対する供述の趣旨を明白に否定している。そして、捜査段階時の取調べに対する前記供述における売買一任勘定の考え方も、その後会社に戻って上司から間違いであったと指摘された旨供述しているところである。

検察官に対する供述によれば、最低五万株位、最高を二〇万株位にするように適当に取引をして欲しいと言った旨の記載はあるが、しかし一般に、数量を限って委託注文をする場合に、最高と最低の幅を限定するときは、両者に連関性があると考えるのが通常であって(本件のような場合には普通は一五~六万から二〇万の単位)、最低を五万とする特段の理由も窺われない本件においては、右五万株の数字は一五万の誤記と認めるのが合理的である。

しかして同人は「最低を一五万株ぐらいにして最高を二〇万株ぐらいにして君の判断でやりなさいとこういったような注文があったような記憶がございます」「たゞお客様の利益になるようにと私の利益になるようにということで私の一方的判断において売買しておりました」と供述するように、一括注文を受けた場合に、その回数が受託者において委託者の利益となるように多数回に亘り執行したとしても、それは当初の注文数を依頼者の利益となるように取計ったための結果であって、一回の注文がそれによって多数回に分かれるいわれはない。

検察官は、かかる場合「内出来」の「注文総括伝票」の記載があるべきである旨主張するが、しかし、早稲栗も供述するように、当時「注文伝票総括表」という制度が周知されていなかったものと認められるし、いやしくも、他人の執行した回数によって自らが不利益を受けることは、それが売買一任勘定の如く、当初契約の委託の趣旨に包括されているが如き特段の事由があれば格別、そうでない限り、何ら本人にその不利益を帰せしめてはならないといわなければならない。

なお弁護人は、日本毛織株を買って売ってくれと委託したのであるからこれらを包括して一個の注文である旨主張するが、しかし、《証拠省略》によれば、同銘柄の買付を依頼されて引受け、その後で、その銘柄が値上りして利幅がとれた場合には売却してくれとの趣旨であったことが窺われるので、右の値上りの有無は、契約の当初には予定し得ないところであり、そもそも買付注文された数量が何時の段階に至って現実に約定が成立するか不確定であるから、同時に両立し得ない関係に在るといえるので、従って、右買付と売付とは各別個の契約とみるのが相当である(そうであるからといって、信用による買付と売付の注文が同時になされたような場合とか、手持株を売却して別個の銘柄の株を同時刻に買注文すること(いわゆる乗換え)は可能であるから、右のような場合に限っては一括注文として一個の取引と解すべきであり、これに反する行政上の取扱通達(売付と買付は同時になされてもすべて一律に二回とする処理)を根拠とする検察官の主張は採用しない。)。

以上によれば、日本信販株二回、日本毛織株売付一回、買付一回、後楽園株一回の計五回と認めるのが相当である。右各取引の算定理由については、別表3算定理由記載のとおりである。

(三) 大東証券(株)における株式売買回数について

大東証券(株)における「戸栗亨」名義の取引が被告人に帰属するものではなく小堀に帰属する取引があることは、叙上説示したとおりである(第三)から、これを除外することとする。右小堀のなした取引の詳細は別表4記載のとおりである。

3  昭和四六年分相対売買の回数

(一) 当事者の主張

検察官は、昭和四六年分相対売買の回数は八回である旨主張するところ、弁護人はこれを六回であると主張し、その根拠として、①検察官が二回と主張している同年一月一九、二〇日の両日に亘る小佐野賢治に対する殖産住宅株合計二五一万株弱の取引は一括して一回と算定すべきであり、また、②右殖産住宅株の買付回数のうち、坂本鉄蔵、堀江喜平保有分各八〇万株は、両名からの依頼によりこれを取纒めた竹内俊夫を取引の相手方として合計一六〇万株を一括買受けたものであるから、これも一回と算定すべきであるという。

これに対し検察官は、右①の点に関しては、被告人と小佐野間に、取引株数を二五〇万株と確定した事実はなく、右二五〇万株という数字は、小佐野が買付を希望した一応の株数(目安)にすぎなかったものであるうえ、株券及び代金の受渡しも二回の売買につきそれぞれ個別に行なわれ、その都度有価証券取引書を取り交わしているのに対し、二回の売買を総括した契約書は作成されていないのであるから、両者はそれぞれ独立した別個の売買契約と解すべきであるし、右②の点に関しては、坂本鉄蔵、堀江喜平からの買付けについても、竹内が坂本、堀江の両名から、同人らの所有する株を買付けたうえ、これを被告人に売却したというのではなく、竹内は右両名から売却方を委任されただけの両名の代理人であるに過ぎず、その旨を被告人に告げて交渉に当たり、被告人もまた売主は坂本と堀江であって竹内は両名の代理人にすぎないことを承知して買付けし、代金支払も坂本に対しては直接に、堀江に対しては竹内を通じて行なったもので、結局、本件売買の当事者は被告人と坂本及び被告人と堀江となるのであるから二回の売買であると主張する。

(二) 当裁判所の判断

よって検討するに、まず、右①の点については、《証拠省略》によれば、被告人から殖産住宅株を二五〇万株程集める手筈をつけているのでどうかとの打診があって、一株九八六円で二五〇万株を買入れる契約が同年一月一九日に成立したこと、小佐野は右株式を転売しようとして大和証券(株)に対し同株式二五〇万株を一括して売却する旨申入れその承諾を得たこと、当初、被告人から二三八万八七四七株が持ち込まれたが、一月二五日に至り不足した同株式一二万株の現物を持ってきたこと、被告人はまだ殖産住宅株があるといったので大和証券(株)へ更に話を持っていったが、それ迄の二五〇万株で充分であるといわれたことが認められる。被告人も「会長(小佐野)から約束した二五〇万株に足らないので、もう一二万株売ってくれ」と申し込まれた旨供述し、右小佐野の供述に符節を合している。

そうすると、小佐野において転売先に対し当初から二五〇万株という株数を示してその売却方を申入れていることは、少なくとも被告人と小佐野間において取引株数を二五〇万株と確定していたものと推認せざるを得ない。そうであるからこそ、後の一二万株は、約束した分に足りないからといって小佐野が被告人に追加売却方を申入れたこととも符合することになる。

従って、有価証券取引書が二通存在するとしても、それは単に形式的に株券及び代金受渡しの都度作成されたものに過ぎず、何等前記認定を左右しないし、株式合計数につき端数が存在するとしても、一万株未満であることや、持株も、増資に際し新株式が割当られて端数の生ずることからみれば、二五〇万株に八七四七株の端数が存在すること自体は、何ら異とするに足りないといわなければならない。従って、右二五〇万株の注文による一回の契約と認める。

次に、前記②の点については、検察官の主張は、要するに、被告人の相手方たる前記竹内は、株式所有者たる坂本及び堀江両名の代理人に過ぎないから売買契約の当事者は被告人と坂本、被告人と堀江となるので売買回数は二回であるというにある。

しかしながら所得税法施行令第二六条に規定する「売買の回数」は、叙上説示したように、証券会社に対する「ウリ」ないし「カイ」の注文回数によって定まるとされていることとの権衡上からも、相対売買において、その相手方が、たとえ私法上は代理人であっても、その者が恰も証券会社の立場と同視せられるような地位にあって、多くの株式所有者の持株を取り纒めて売付けるような場合には、特段の事由のない限り、税法上は、その者との間の売買回数を基準とすべきであって、私法上の効果如何によってその取引回数を判定すべきではないといわなければならない。

これを本件についてみるに、《証拠省略》によれば、堀江と坂本の持株合計一六〇万株を竹内において取纒めて、これを被告人に対し一括して売付、被告人も一括して買受けたことが認められるので、売買回数は一回と認めるのが相当である。

以上によれば、昭和四六年分相対売買回数は別表11のとおり六回と認められる。

4  総括

以上によれば、昭和四六年分の売買回数は、立花証券(株)分六回、岡三証券(株)分五回、相対売買分六回の合計である一七回と認められる。

三  昭和四七年分の売買回数

1  争点

昭和四七年分における被告人の株式取引の回数について、検察官は、立花証券(株)二八回、岡三証券(株)七回、大東証券(株)一二五回、山一証券(株)一九回、大和証券(株)四回とし、相対売買一六回を加えて、同年分中の売買回数は一九九回となるので、継続的取引に該当する旨主張する。

これに対し弁護人は、立花証券(株)六回、岡三証券(株)三回、大東証券(株)一五回、山一証券(株)六回、大和証券(株)四回、相対売買一〇回の合計四四回であるから、年間五〇回に満たないので同年中の株式売買益は非課税である旨主張する。

2  昭和四七年分証券会社に対する委託売買の回数

(一) 立花証券(株)における株式売買回数について

そこで検討するに、先ず、立花証券(株)における回数の算定にあたっての主な相違点は、①日本電波工株、丸藤シートパイル株、武蔵野映画株の三銘柄の買付と、②三井鉱山株の買付の回数についてであるので、前者について先ず検討し、三井鉱山株については、各証券会社との間に入り組んで注文がなされている事実が認められるので別途判断することとする(後記(四)参照)。

右①の「日本電波工」、「丸藤シートパイル」、「武蔵野映画」の各銘柄につき、弁護人は、富士銀行を退社した前記小堀亘が立花証券(株)の投資顧問室長に就任し、被告人に「錦上花をそえてくれ」と哀訴するので前記三銘柄株式の買付を一括注文したのであるから、これが委託契約としては一回である旨主張するところ、被告人も当公判廷において右にそう供述をなしているので検討するに、右三銘柄は、いずれも「D」名義で買付られているが、本件当時第二部市場ないし店頭市場銘柄であって、その取引数量も日々いたって少ないことが窺われ、注文株数も日本電波工株については七月四日三万株、丸藤シートパイル株、武蔵野映画株についてはいずれも七月六日に同一数量の三万株が当初申込まれたことが認められ、小堀が叙上認定のとおり、昭和四六年中に自ら行なった取引については、右のような店頭銘柄の存しないことを併せみれば、いわゆる「御祝儀」として被告人が小堀の立花証券(株)入社に際し、各三万株宛を一括注文したものと推認するのが相当である。

しかして、右各銘柄三万株が当初に一括注文されたものとして、それを前提に売買回数を算定すれば、別表5算定理由のとおり、七回と認められる。

(二) 岡三証券(株)における株式売買回数について

昭和四七年における岡三証券(株)の取引につき争われるのは三井鉱山株である(別表6の番号9、10、12、13)が、当裁判所は、別項三井鉱山株の売買回数についての判断のとおり認定したものであって、岡三証券(株)関係におけるその回数は、別表6記載のとおり、四回と認められる(後記(四)参照)。

(三) 大東証券(株)における株式売買回数について

(1) 昭和四七年一月五日より二月一日までの取引について(番号1後楽園株より番号43日本信販株までの分)

(イ) 検察官は、被告人ないしその仮名でなされた昭和四七年一月五日からの取引はすべて被告人に帰属するとして売買回数を計算し合計一二二回である旨主張している。

これに対し弁護人は、被告人が石橋に対し直接に注文を始めるようになったのは同年二月二日からであるから、二月一日以前の取引はすべて前年から繰返されてきた小堀の計算による小堀の取引であるので、これを除外し被告人に帰属する取引にかかる回数は二月二日以降である旨主張する。

よって検討するに、叙上認定のとおり、大東証券(株)における昭和四六年分の戸栗亨名義による取引の主体は被告人ではなく小堀個人のなした取引であると認められ、しかして、翌年の昭和四七年二月一日、被告人名義によるライオン油脂株七万株の売付に至るまで、右小堀の取引が継続して行なわれていたものと認めるのが相当である。その理由は次のとおりである。

(ロ) 《証拠省略》によれば次の事実が認められる。すなわち、昭和四七年一月二四日頃、富士銀行馬喰町支店二階応接室において、被告人と石橋同席のうえ小堀との間に、叙上認定のとおり、小堀の独断でなした株式取引にかかる整理、精算をめぐって激しい応酬があり、その結果「詫状」を作成させたこと、その文言の体裁につき言い争いがあったこと、その後「仮名取引」口座である旨の書面の提出方を小堀が石橋に求めたこと、その頃、被告人は石橋に対し大東証券(株)において株式取引を行なうことを申し入れ、これ迄の小堀による取引との混同を避けるために、妻の「A子」名義を用いて取引するよう命じたこと、右「A子」名義によるものが同年二月二日より行なわれていること(別表9の番号44から)、現存している小堀に帰属する株式の残株につき、これを全部整理して後始末をつけ、若し値下りして赤字の生じている場合には自分が負担する旨申出で残株の一切につき売却による整理方を石橋に依頼したこと、そこで石橋は、ライオン油脂株(別表8番号47、60~62)、日本毛織株(同番号67~74)、大都工業株(同番号88、89)、大林組株(同番号95)の各銘柄につき、いずれも小堀に帰属するものとみて、「戸栗亨」名義にて整理のため売却することとし、その売値については、市場の状況をみて適宜任せる旨の被告人の依頼を受けたので、別表8記載のとおりの日時において数ヶ月以内に売却を了したこと、

なお、二月二日以後の被告人に帰属する取引のうちに「戸栗亨」名義の用いられているものもあるが、石橋はそれは、小堀のなした取引により小堀に帰属する株式であることからその売却による整理のためであったと供述していること、また、小堀が立花証券(株)に入社した七月一日以降は「戸栗亨」名義が少なからず用いられるようになったこと、「関猛」「小林勝」名義による取引は石橋によってなされた被告人の仮名取引であること、九月頃から注文伝票に「内出来」の表示のあること、その頃、被告人は証券会社の人から一括注文伝票(内出来表示)方式による取引回数計算の仕方を聞知し石橋に問質したこと、当時、証券業界においては右「内出来」なる記載の仕方が周知されておらず、石橋において、それ以後、右方法を取入れるようになったこと

以上の事実が認められる。

(ハ) 右によれば、叙上認定の昭和四六年分の大東証券(株)における小堀に帰属すべき取引が、そのまゝ継続されて翌四七年に持越されていることが認められ、それは47年1月5日より2月1日迄の別表7のとおりである。

(ニ) そして、前記三菱地所株無断売却の買戻しのための資金を得る手段に藉口して、被告人の預金等を小堀が流用して被告人に対し与えた損害を補填させるためにその一手段として小堀の所有していた「戸栗亨」名義の残株を代物弁済として被告人が引取り、これを売却してその代金を充当させて清算させることとなったこと、小堀の右残株の内訳は別紙7のとおりであること、そこで、被告人は石橋に対し右残株のすべてを証券市場で売却するように命じたことが明らかであるから、かような事情の下では、右精算のための売却を石橋に命じた段階において、一個の包括的な売付委託注文契約があったものと認めるのが相当である。

右認定に反する小堀の供述は信用できない。

そうすると、前掲各銘柄の売却は包括して一回の取引と認めることになる。

その売却整理した内訳は、別表8(番号47、60、61、62、67~74、88、89、95)(理由)のとおりである。

(2) 昭和四七年二月二日以後の取引について(番号44上毛撚糸株より番号278三井鉱山株までの分)

前記((1)の(ロ))認定の事実によれば、同年二月二日から、「A子」名義を用いての取引よりは、被告人に帰属する取引と認めるのが相当である。

従って、前記包括的一個の委託契約によって執行された取引(別表8記載のもの)、及び、二月二日以後の取引は、併せすべて被告人の行なった委託注文による取引と認めるのが相当である。

なお、七月一日以降「戸栗亨」名義を用いて行なった取引があるが、右は、小堀が立花証券(株)に入社したため、大東証券(株)との関係が解消されて爾後被告人名義を用いても混同を生ずる虞れがないとみて同名義を用いたものと推認されるので、右は前記認定を何等左右するものではない。

また、注文伝票に「内出来」の表示のみられるのは、その頃から、石橋において、被告人からの問合せにより始めて「注文伝票総括表」の存在を知って用いるようになったものであると認められるので、本件の認定に影響は存しない。

ところで、石橋は、昭和四七年分の取引回数は一五回であるとして、各銘柄につき同時発注の存在を供述しており(たとえば別表9の番号218新日本製鉄株の一〇月一八日の「ウリ」、同番号242平田紡績株の一一月六日の「ウリ」と他の各銘柄の同時注文)、それは指値をして市場に出していたが、同一日には取引成立しなかったからであるということを理由としているが、しかしながら、その一つひとつについての各銘柄の注文の日時、株数、指値、成行の別、約定日時、株数、各金額、名義等を仔細に対比し検討したところによれば、その殆どは、特定の銘柄の最初の注文時において、同時に、他の銘柄の注文を併せ行なったものではなく、せいぜい右特定の銘柄の一括委託注文を日を異にして執行する途中の段階において始めて他の銘柄の注文がこれに加ったものであることが窺われるので、これは各別個の注文と推認するのを相当とし、別表9売買回数算定理由欄記載のとおり、それぞれ各回数を算定した。

(3) 結論

前述したとおり、昭和四七年一月五日より二月一日迄の取引分は、小堀の計算においてなした小堀に帰属する取引と認められるところから、逋説所得の算定においては、後記のとおり控除することとした。小堀によってなされた取引の右回数は、別表7のとおりである。

他方、昭和四七年二月二日以降(なお、前記第三、二、1、(三)記載のとおり同年一月五日後楽園株分、二月一日日本信販株分を含む)の大東証券(株)における取引は、被告人に帰属するものと認められる。その回数を算定したところ、別表9算定理由欄記載のとおりであって、計四四回と認められる。

以上によれば、当裁判所の認定した昭和四七年分大東証券(株)における被告人の売買回数は別表9記載のとおり合計四五回と認められる。

(四) 三井鉱山株の売買回数について

(1) 昭和四七年五月頃において一〇〇〇万株の一括買付委託注文の存在が認められることについて

(イ) 弁護人は、昭和四七年分大東証券(株)における三井鉱山株の売買回数につき、検察官の主張する回数に対し、右は被告人と同証券石橋外務員との間において三井鉱山株一〇〇〇万株の一括買付委託契約が当初からあり、石橋は右約定に基づき実行したに過ぎないから、注文が一回である以上売買回数も一回である旨主張し、更に、同年分立花証券(株)における同株式の売買回数についても、右は検察官の主張するが如きものではなく、同証券の小堀が被告人に無断で同株式を買付け、その処置に困って被告人に援助を求めたために、右小堀から肩代りしたものであるから、これも買付契約が一回である以上売買回数も一回である旨主張する。

(ロ) そこで検討するに、被告人は「石橋に私は三井鉱山の株一〇〇〇万株を買いたいといって任せたわけですが、その理由は、小佐野さんに殖産の株を渡しまして、……そういう金が目べりがするということが非常に心配だったわけです。それが電々債を買おう、じゃ鉱山の株を買おうというふうにだんだん移行していったわけです」と述べ、更に、この事件が起るまで依然として一〇〇〇万株を買えという委託は続いていたのであるが、この事件の関係で七~八〇〇万株ぐらいで終ったと述べている。この点につき、大東証券(株)の石橋外務員も「初めから一〇〇〇万株買うことになっているんです」、「これはあくまでも一〇〇〇万株買うということで始ったことですからね、それで私は全部これを任されておりまして、いわゆる市場の動きと相場の今後の動向そういうものを説明しながら全部私の計らいで買ったということで」、「とにかく一〇〇〇万買って下さいといわれ」、「三井山に関しては住炭みたいに利益があるから売るというんじゃないから、お前に任せるから全部適当に買ってくれということで始ったわけです」云々と供述し、要するに三井山というものは五月に一〇〇〇万株買ってくれという基本的な委託契約があってそれを実行したまでであると述べて右被告人の供述と符節を合しており、検察官の捜査段階においても、石橋は三井鉱山株を被告人から一〇〇〇万株集めたいという話があったことを認め、小堀のほゞ右に添う供述記載部分も認められる。

右に加うるに、被告人が昭和四七年五月一二日から三井鉱山株の買付けを開始してから昭和四八年に至るまで、《証拠省略》によれば、同株式を合計八二〇万五〇〇〇株購入し、後記のとおり、いわゆる「冷し玉」を除いては全然売却していないこと、当初同株式の買付注文時においてその購入資金として殖産住宅株売却代金二〇数億円を所持していたこと等を併せ考えれば、当初、被告人において同株式一〇〇〇万株買付を石橋との間に一括委託注文があったものと認めるのが相当である。

(ハ) これに対し、検察官は、右被告人の公判供述及び石橋の証言は、被告人の株式売買回数を出来るだけ低く抑えようとの意図が露骨に表われており、同人らの検察官調書に照らし、その信用性には多大の疑問があり、また、被告人が大東証券(株)に出す注文内容は、基本的には銘柄とその買付(又は売付)株数を指定するのみでその実行面は一切石橋にまかせていたという点については、顧客勘定元帳及び注文伝票によると、これらの銘柄につき実際に注文を出して買付けした株数は、五三八万九、〇〇〇株であって、注文を受けたという株数には満たず、結局、右は単なる買付けの一応の目標株数に過ぎないものであったことが明らかであり、注文時に株数が特定されていたとは到底認められないのである。実行面をみても、買付けは七ヶ月間に及び、買付価格も最低一一二円から最高四一三円までと大幅に異なっている。このように銘柄と「ウリ」・「カイ」の区別のみが特定されているに過ぎない包括的注文では、一回の委託とみることができないし、「注文伝票総括表」も翌四八年になってから事後的に作成されたものと認められるし、また、石橋は被告人と密接な関係にあり、単に大東証券(株)の外務員という立場で被告人の売買注文を受けていたとか、相談に乗って指導していたというのではなく、明らかに証券外務員としての本来の行動とは異質であって、被告人は、自己の計算において、石橋の頭脳を利用して一心同体となって株式売買をしていたと認められるのであると主張する。

(ニ) そこで右各主張を検討するに、検察官は、石橋が公判では最初に一〇〇〇万株「カイ」の委託契約があり、買方については被告人からまかされていたので取引回数は一回であるとの前提で供述しているものの、昭和四八年六月八日付検察官調書では、個々の取引について具体的に被告人と打ち合わせのうえ、注文を受けていることが明らかであり、公判供述は、明らかに取引回数を減じ、被告人に有利にしようとの意図のもとになされたものと思料され、信用できないと主張するが、しかしながら、同供述調書にも「三井山の場合、戸栗さんから一千万株位集めたいという話がありました」(第一項)の記載があり、一括委託注文契約が叙上認定のとおり当初に存在したと認められる以上は、個々の取引につき具体的に打合せて注文を受けたとしても、それは右注文の具体的な執行方法の問題に過ぎず、一〇〇〇万株程の大量注文を一時に市場に出すことが株価の高騰を招くため、多数回に分け、その時々の市況を打合せながら買付したものと認められるのであるから、右検察官調書の記載は何等前記認定を左右しない。

なお、「注文伝票総括表」を当初に作成していたととれるような石橋の供述記載は、同人において当初から右書類を作成していれば課税取扱上一回として扱われるとの通達を当時知らなかったため、証券取引外務員としての責任上、事後に作成したものであり、それは最初に右一〇〇〇万株の注文を受けていながら、書面を作成しなかったことの自責の念から、右のような虚偽の供述に至ったものと認められ、敢て明らかに取引回数を減じ、被告人に有利にしようとの意図のもとになされたものとは窺われないので、石橋の公判廷における供述記載の信用性には何ら影響を生じないといわざるを得ない。

また、顧客勘定元帳や注文伝票に右一〇〇〇万株の注文の記載がない点については、当時は、未だ「注文伝票総括表」の作成がなされていなかったこと、いわゆる仕手株取引の方法として買主名を伏せて置く必要から、大口注文に対し外務員において注文伝票を作成しない事例のまま存することも窺われることからみれば、何ら前記認定を左右しないし、買付期間の長期、買付価格の最低と最高との大幅な相違も、大口注文にはまゝありうることであって何ら異とするに足りず、検察官の主張はいずれも失当たるを免れない。

以上によれば、被告人と外務員石橋との間において昭和四七年五月頃に三井鉱山株一〇〇〇万株の一括買付委託注文が存在し、右一括委託契約が成立したものと認めるのが相当である。

(2) 昭和四七年八月七日以後は、大東証券(株)に対する前記一〇〇〇万株の一括取引が中途解消されて、爾後、大東証券(株)のみならず、立花証券(株)、岡三証券(株)に対してもそれぞれ同株式の各注文がなされたことについて

(イ) 叙上認定のとおり、被告人は、大東証券(株)外務員石橋との間に同株式一〇〇〇万株の一括買付委託契約を結んだものであるが、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(ロ) 小堀は、昭和四七年七月一日立花証券(株)に投資顧問室長として入社したが、前示の如く、同人は被告人に対し入社の御祝儀として株式取引方を懇願した。被告人は、叙上のような経緯はあったものの、これ迄の交際に鑑み日本電波工株、丸藤シートパイル株、武蔵野映画株等のほかその翌日頃にも三井鉱山株一〇万株をいわゆる御祝儀株として「D」名義で注文した。

しかし小堀は、被告人において三井鉱山株を一〇〇〇万株買付の意思のあることを知って、右委託注文のほかに、勝手に同名義で同株式を買付けようと企てた。

右につき、小堀は被告人の了承を得ているとして「同株式はすべて被告人から直接指示してもらったもので、勝手に見計らって注文したということはない」と供述しているが、しかしながら、同人は「その後、私どものほうで相当株を買っておきまして、値段が上ってきましたので、逐次戸栗さんの買いをふやしていったわけです」、「三井鉱山は戸栗さんから持ってきた銘柄ですが、非常にこの会社はいいということを戸栗さんから言われたので……私の友人その他にも勧めたわけです。従って、戸栗さんは、その当時から、殖産の株を全部のりかえて、この株を財産株として持ちたいという意向があったわけです。したがって、いわゆる仕手の帳本人なわけです。」との供述から窺えるように、被告人が同株式を買集めると知って、いわゆる「提灯買」(仕手筋の大量買付に同調して買うこと)をしたものというべく(別表5番号9、10、14、19、32、35、37)、そのため、小堀が同株式一〇〇万株の買付に対し大東証券(株)の石橋から三〇万株を寄こせと申入れがあったことや、その後、被告人方において、石橋が小堀と偶然出逢ったとき、被告人が小堀に対し三井鉱山株を頼んだ覚えはないといって口論していたこと、同年八月一六日、両人の間で一八三万四〇〇〇株の同株式の処置につき念書がさし入れられたこと(被告人が注文したものであれば、執行者たる小堀において担保を入れてまで念書を発行することは通常考えられない。)、後記の如く大阪在住の川上日貞雄こと崔基南(以下川上という)と小堀との間で同株式をめぐるトラブルの生じたこと等は、いずれも小堀の単独取引であることを推認させるものである。

(ハ) 右のように、小堀が市場から同株式を買付けたことから、「市場の方で立花が買っているというニュースがどんどん入ってきて」、これ迄のように大東証券(株)の石橋一手による値を押えての買集めが困難となってきたことや、既に小堀において独自に昭和四七年七月中に同株式を一八三万四〇〇〇株買集めたことによる右株式の処理が問題となった。

小堀は被告人に対し右株式の引取方を申入れたが、その頃同株式の取引相場が低落したこともあって被告人はその引取りを拒んだ。

そして、一時、同株式の買付けを中止し、結局、同年八月一六日、G弁護士立会のもとに損害金の担保として「三井鉱山株八万株、東京ガス株二万株、箱根C・G会員券壱口」を差入れること、その後株価が上昇して二三〇円となったときは担保を返戻するとともに同株式を引取るとの約定が成立した(上記内容の念書の存在は、普通、株式の価額が下落したからといって、買付の委託の存した限りことさら損害金を支払うが如き事態の存しないことに照らし、右取引が小堀の独断による取引であることを肯認させるものである。)。その後、同年九月には同株が二三〇円を上回るようになったので、その頃、担保を返戻して三井鉱山株一八三万四〇〇〇株を一括被告人が肩代りした。従って、株式取引回数は、右肩代り時を以って一回と算定するのが相当である。

(ニ) これより先、大東証券(株)の石橋に対しては、右小堀との問題があったため、同年七月一七日以降同株式の買付を一旦中止した。

しかし、同年八月に入り同株式の取引相場が大幅に下落したことにより、被告人は、同月七日、改めて一〇〇万株の「カイ」を石橋に命じた。そして前示のような経緯で前記小堀との念書差入れによる協議が成立し、その後同株式の相場も上昇し二三〇円を超える迄になったので、右契約を実行し一八三万四〇〇〇株の肩代りをして引取った。

九月に入って、被告人は、同株式の買付けを改めて立花証券(株)の小堀に注文するとともに、岡三証券(株)の早稲栗にも注文するようになった。

以上の事実を認めることができる。

(ホ) 右によれば、本件三井鉱山株式の売買取引の回数は、次のとおりとなる。すなわち、昭和四七年七月末頃、小堀の市場からの独自の買付けによって値段が高騰したため一時中止したが、その後、八月七日頃に至り相場が値下りしたため、あらためてそこで再び同株式の買集めを企てたものと認められる。

従って、大東証券(株)における売買回数は、右中断により前後二回に分かれて注文がなされたとみるのが相当である。

なお、三井鉱山株別表9の番号81の五〇万株については、被告人の買付ではなく、高知尾清治の取引と認められ、従って、回数算定から除外すべきであるが、右は同番号80と一括取引として主張されているので本件回数に影響はない。

ところで三井鉱山株一〇〇〇万株の大東証券(株)一社による買集めは、その数量の多いことから他の証券会社にも知られていわゆる提灯買がつき、同社一社のみをもってしては、到底相場を押えての買集めは困難とみて途中方針を変更し、他の証券会社へも分散注文をすることとした。

そこで立花証券(株)に対しては、九月二八日(別表5の番号46)と一〇月三日(別表5の番号53)の二回にわたり、また、岡三証券(株)の早稲栗に対しても、九月末頃、一五万株の一括注文をするようになった。

従って、本件回数の算定においては、立花証券(株)につき、七月四日小堀の御祝儀株としての一〇万株、また、小堀からの肩代り(相対売買)としての一八三万四〇〇〇株、九月二八日注文の二六万三〇〇〇株、一〇月三日及び四日にかけての五万六〇〇〇株の計四回の注文があったと認め、岡三証券(株)については九月二八日に一五万株の一括注文を認め得る(別表6の5~11、13~17)。

そうすると、大東証券(株)の二回と併せ合計七回と算定できる。

(五) 山一証券(株)における株式売買回数について

(1) 検察官は、山一証券(株)における株式売買の回数は一九回であると主張するところ、弁護人は、六回であると主張し、その理由として①東洋酸素株、島津製作所株、日清紡績株、小西六株の各株式の売付は、いずれも各一回の委託契約があり、売買の執行が数回に分かれたに過ぎず、各銘柄ごとに各一回の売買と数えるべきであり、②殖産住宅株の売付(別表10の番号25)は知人の同株式を被告人の名義で売却したものなので回数計算から除外すべきである、③また、公募新株の引受も同様除外すべきである旨主張する。

そこで検討するに、右①については、《証拠省略》によれば、前記四銘柄の株式の売付注文は、被告人から坂場に対し、銘柄と株数を特定し、値段は一任のうえ一括してなしたことが認められ、その間各銘柄のうちには約定成立迄に日時の間隔の存するものも認められるが、一括委託注文がなされた後、その間に右委託の取消、撤回が本件全立証によるも窺われないので、右意思が継続しているものと推認されるところから、一括注文時と約定成立時に時間的間隙が存在したとしても、前記認定に何等の影響は存しないといわなければならない。

検察官は、価格、売却の時期等を特定しない注文方法をもって各一個の委託契約があったとみることは不当である旨主張するが、しかし、叙上詳述したとおり、値段、時期は一括委託契約の要素たり得ないので所論は採用できない。

次に、前記②の点については、《証拠省略》によれば、被告人が知人から依頼され同人所有の殖産住宅株一〇〇〇株の売却につき、被告人の名義を単に利用させてやったものであることが認められる。そうすると、右売買は他人の取引であって被告人に帰属する取引ではないので本件取引回数から除外するのが相当である。

最後に、前記③の点については、既に公募新株の引受は取引回数に算入すべきこと叙上説示したとおりであるから、弁護人の所論は採用しない。

(2) 以上によれば、昭和四七年分山一証券(株)における売買取引の回数は、別表10のとおり一〇回と認められる。

3  昭和四七年分相対売買の回数

(一) 当事者の主張

検察官は、昭和四七年分の相対売買の回数は一六回である旨主張するところ、これに対し弁護人は一〇回である旨主張するので、争点とされている各売買につき、その回数を検討することとする。

(二) 関谷正義に対する殖産住宅株五〇〇〇株、川上に対する同株式六〇〇〇株の売却と右両名からの右各株式の買戻について

検察官は、被告人は、小堀に対し、殖産住宅株二万一四〇〇株の売付を依頼し、同人を介し関谷正義に五〇〇〇株、川上に六〇〇〇株をそれぞれ売却したところ、その後、同株式が昭和四七年中に上場される見込みがなくなったので、上場を期待して買った相手に迷惑をかけるとの理由で小堀に右二万一四〇〇株の買戻交渉を依頼し、結局、関谷、川上の両名から買戻したものであって、右売買交渉には被告人ないし大東証券(株)の石橋も関与しているのであるから、従って、売買回数を数えるに当たっても、当事者である被告人と関谷、被告人と川上との関係において捉えるべきであるので、本件の売買回数は「ウリ」と「カイ」ごとに各二回の合計四回となるべきであると主張する。

これにつき弁護人は、被告人において小堀に対して二万一四〇〇株の売却及び買戻をそれぞれ一括して依頼したのであるから、「ウリ」と「カイ」の各一回の売買取引と数えるべきである旨主張する。

よって検討するに、《証拠省略》によれば、被告人は小堀に対し殖産住宅株二万一四〇〇株を一株一三五〇円以上の価格による売付を注文し、同価格との差額があれば同人に対する謝礼として提供する旨申出たこと、同人は二月一六日関谷に対し一五〇〇円で五〇〇〇株を、川上に対し一四〇〇円で六〇〇〇株を、平尾某に残り一万四〇〇株を売却した後、一株一三五〇円として計算した金額を被告人に渡し、差額をもって、被告人の小堀に対する貸付金の返済に充当したこと、被告人は、その後、同株式が昭和四七年中に上場される見込みがないと思われたので、上場を期待して買った相手に迷惑をかけることになると考えて、小堀に対し右二万一四〇〇株の買戻しを申入れ、結局、六月一二日関谷から五〇〇〇株を単価一八〇〇円で、六月二三日川上から六〇〇〇株を同一六〇〇円で買戻したことが認められる。

右事実によれば、被告人は、小堀に対し同株式二万一四〇〇株の売付を注文し、その際、一定の単価を定めてそれ以上の価格で売却した場合は同人に対する謝礼とする旨申出たのであって、誰を相手方として売却するかは特段に契約内容となっていないのであるから、前掲、昭和四六年分相対売買中の坂本、堀江との取引につき説示したとおり、本件は被告人と小堀との取引を基礎として回数を計算するのが相当である。

従って、右株式の買戻しも右売付が前提となって小堀を相手としてなされたのであるから、右同様に小堀との間の取引の回数を計算すべきこととなる。代金の支払が何人であるかは右認定を左右しない。

そうすると、被告人は、小堀に対し二万一四〇〇株の売却及び買戻しをそれぞれ一括して注文したのであるから、「ウリ」と「カイ」の各一回の売買取引と数えることとなる。(なお検察官は、当事者である被告人と関谷、被告人と川上との関係において捉えるべきである旨主張するが、売却にかかる右関谷、川上以外の残り一万四〇〇株について何等論及していないのは、かえって論旨に一貫性を欠くものと批判し得よう)。

(三) 筒井喜由からの殖産住宅株の買付と大和民藏に対する同株式の売却について

弁護人は、筒井喜由からの一四万八四四八株の殖産住宅株の買付けと、大和民藏に対する三万八四四八株の売却につき、右は、同一の機会に行なわれたものであるから、二つの売買は一回として計算すべきであると主張するので検討するに、《証拠省略》によれば、殖産住宅(株)の下請である大和が被告人に対し持株である同株式一四万二四四七株を売却したところ、その後、殖産住宅(株)から、同株式を買戻さなければ下請業者としての指名停止を解除しないと申し渡されたので、筒井(藤原肇が所有し筒井が仲介したもの)から取得した一四万八四四八株のうちから三万八四四八株を被告人が右大和に売却した事実が認められ、右「ウリ」と「カイ」が一括注文によってなされた取引と認めることができないので本件の売買取引の回数は二回と認めるのが相当である。

(四) 秋山産業、山利産業、田中滿雄に対する殖産住宅株の売却について

検察官は、被告人が大東証券(株)の石橋に対して殖産住宅株四万株の売却を依頼し、同人が九月五日秋山産業に対し二万株、山利産業、田中滿雄に対し各一万株を売却したことにつき、右取引は、大東証券(株)を通じて売買が執行されているにも拘らず、右売付につき同証券に一切の記帳がないので石橋の個人的な行為と認められ、右取引は、被告人が石橋と一心同体となって行ったものであるから、被告人イコール石橋と顧客間の相対売買に該当し、当事者別に別個の取引として売買回数は三回である旨主張する。

これに対し弁護人は被告人と石橋との間の一回の取引である旨主張する。

よって検討するに、《証拠省略》によれば、石橋が秋山利雄等に頼まれて同株式を売却したこと、被告人は石橋に対し一株二二〇〇円で五万株を売却し、石橋から一億一〇〇〇万円を受領していることが認められる。

そうすると、本件は被告人と石橋との取引と認められるので、右両者間に五万株を一株二二〇〇円で売却するとの契約が存在する以上は一回の取引と認めるのが相当である。

(五) 川上からの三井鉱山株の買付けについて

検察官は、被告人が立花証券(株)の小堀に対し三井鉱山株五万五〇〇〇株の買付注文をしたところ、右小堀が東京証券取引所において執行せずに、大阪在住の川上日貞雄から買付けたことにつき、右売買の経緯に照らして被告人と川上との間の相対売買として一回である旨主張する。

これに対し弁護人は、被告人は立花証券(株)に買付を委託したのに、本件は小堀が勝手に大阪在住の右川上との間で行なった取引であるから、被告人の行なった相対売買ではない旨主張する。

よって検討するに、《証拠省略》によれば、被告人が立花証券(株)の小堀に対し一〇月二〇日、三九〇円で一万株、三九一円で四万五〇〇〇株の合計五万五〇〇〇株の買付注文を出したこと、三日後に小堀に対し二一六一万六〇〇〇円を支払ったこと、小堀は右買付を大阪在住の川上日貞雄に依頼して大阪証券取引から買わせたこと、右株券の引渡をめぐって紛争が生じたこと、すなわち、同年六月の川上からの殖産住宅株の買戻しが、実は同社株は同年中は上場がないということで安値で買戻したのであるから、それは詐欺的行為であるということで、右株券が川上によって損害を担保させようとして押えられ、民事紛争が生じたこと、翌四八年二月頃に右紛争が解決し株券が立花証券(株)から被告人の手元に返戻されたことが認められる。

右によれば、五万五〇〇〇株の買付注文を出したことは明らかであり、右は要するに、買付けの執行方法の問題に過ぎないと考えられ、しかも、本件は、被告人にとってみれば、立花証券(株)としての小堀に対してか、それとも小堀個人に対してかの問題はあるとしても、少なくとも小堀に対し、三井鉱山株五万五〇〇〇株を指値にて買付注文したことは否定し得ない事実であり、右買付注文が大阪の川上を介して大阪証券取引所において指値どおり買付られ、右代金が被告人から小堀に支払われていることが認められるのであるから、そうだとすれば、本件は、被告人と小堀の相対売買と認めるのが相当である。

(六) 小堀からの三井鉱山株の買付について

叙上認定したとおり、被告人が小堀から三井鉱山株一八三万四〇〇〇株の一括肩代りとして一回の相対売買がある。

(七) 結論

以上によれば、昭和四七年分相対売買回数は別表12のとおり一三回と認められる。

4  総括

以上によれば、立花証券(株)七回、岡三証券(株)四回、大東証券(株)計四五回、山一証券(株)一〇回、大和証券(株)(争いなく、当裁判所も証拠上認定できるもの)四回、相対売買分一三回を合計すると、昭和四七年分の売買回数は計八三回と認められる。

従って、右は五〇回を超える(かつ二〇万株を超える)ので、令第二六条第二項により同条第一項所定の営利を目的とした「継続的売買」と認められる。

第六株式取得価格に、その株式の取得に要した負債の利子を加算することの可否

一  弁護人の主張

弁護人は、本件対象外年分である昭和四四年以前に取得した株式のうちには、借入金によって取得したものが含まれているから、右株式の取得価格に借入支払利子を算入すべきであるのに、右利子額を加算していないのは不当である旨主張する。

二  当裁判所の判断

そこで検討するに、所得税法第三七条第一項は「……雑所得の金額……の計算上必要経費に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、これらの所得の総収入金額に係る売上原価その他当該総収入金額を得るために直接に要した費用の額及びその年における販売費、一般管理費その他これらの所得を生ずべき業務について生じた費用……の額とする。」と規定し、その別段の定めとして、雑所得が有価証券の譲渡に基因する場合について同法第四八条第三項は「居住者が二回以上にわたって取得した同一銘柄の有価証券につき第三七条第一項の規定によりその者の雑所得の金額の計算上必要経費に算入する金額……は、政令で定めるところにより、それぞれの取得に要した金額を基礎として第一項の規定に準じて評価した金額とする。」と規定する。

これを受けて同法施行令第一〇九条第一項第三号は、「その購入の代価(購入手数料その他その有価証券の購入のために要した費用がある場合には、その費用の額を加算した金額)」と規定する。

そこで有価証券の取得価額に借入金に対する支払利子が入るか否かは「有価証券の購入のために要した費用」に該当するかどうかにかかるところ、右「費用」とは、有価証券の購入のために通常かつ必要なもの、換言すれば、少なくとも当該有価証券の客観的価額の一部を構成するに足る支出を指称するものであるから、本件のように株式を購入するための資金に充てるために借入れた金員に対する支払利子は、一般に右有価証券の客観的価額には含まれないと解するを相当とする。

従って、本件借入金の利子は、右の程度を超えているから取得価額たる原価を構成しないと解すべきである。

そうすると、本件は弁護人の主張自体失当といわなければならない。

三  ところで検察官は、被告人が現物取引の方法により株式を取得するために要した各年中の負債の利子を、右の「その他雑所得を生ずべき業務について生じた費用」として処理している(論告第三の二)。

しかしながら、所得税法は、「雑所得」が有価証券の譲渡に基因する場合には、原則として、譲渡された個々の有価証券の取得価額によるものであるが、本件の如く、二回以上にわたって同一銘柄の有価証券を取得した場合には、前示のとおり、別段の定めである同法第四八条第三項を適用し、それによって必要経費を算定すると規定しているのであるから、同法第三七条第一項所定の「雑所得を生ずべき業務について生じた費用」の規定の適用はないといわねばならない。

そうすると、昭和四七年分逋脱所得の算定に際し、検察官において「支払利息」として八二五〇万一三六八円を控除しているのは妥当ではないからこれを加算すべきところ、そのために、逋脱額が増加し被告人の不利益となるので、当裁判所は訴因の拘束を受けることになるが、検察官には訴因を変更する意思が論告自体から窺われないので、右同額を「訴因調整勘定Ⅰ」(別紙2参照)として控除した。その結果、逋脱額には影響はないことになる。

第七昭和四五年分配当所得の存否について

一  当事者の主張

検察官は、被告人の所有する殖産住宅株六〇万株に対する昭和四五年三月期の配当収入が一三五〇万円あり、被告人に帰属する所得であるにもかかわらず、被告人は、右株式を八木慶一ほか二名から譲受けた際に、ことさら、名義書換手続をせず、右八木ら名義人に右の配当収入を各名義人の所得として申告させ、自己の申告から除外したものである旨主張する。

これに対し弁護人は、被告人がこの収入を申告から除外した事情は、当時殖産住宅(株)の役員であった八木としては、持株を処分することは社是として役員辞任を意味するので名義変更をしないことを条件とする譲渡であったのであり、従って、配当は八木に入金されたため、右にかかる所得の資料は同人の名義として扱われ所轄税務署長に送付されているから、被告人の所得として申告することはできない事情にあったのである。そこで両者話合いの上、所得申告は八木においてすることとし、そのとおり実行されたものである。当時の被告人並びに八木の感覚としてはこうする以外に方法はなく、またそれでよいものと確信して処理したものであり、脱税の意思等は全くなかったのである。その清算方法をみると、昭和四五年一月八日、被告人は八木に対して同人から別途買受けた殖産住宅株の代金を支払うについて前記六〇万株分の同四五年三月期の配当額を予測して差引処理したものであって、同期の配当として被告人が現実に受領したものはなかった。従って、見方によっては買受けた株式代金の値引とみることもできたのである旨主張する。

二  当裁判所の認定

よって検討するに、《証拠省略》によれば次の事実が認められる。

すなわち、殖産住宅(株)の取締役であった八木慶一及び同人と同人の次男威が代表取締役をしていた株式会社東京スポーツ商会の各名義で殖産住宅株二五万株を所有していたところ、昭和四三年三月に右八木は前記(株)東京スポーツ商会が資金に窮したため、手持殖産住宅株の買取方を被告人に懇願し、五万株を一株四〇〇円の割合で譲渡し、更に、同年一二月にも同株式二〇万株を一株九〇〇円の割合で譲渡する予約をし、それを実行したこと、同日一対一・四の割合による無償交付があり、右八木との話し合いの結果、計六〇万株を被告人において保有するようになったこと、右三月及び一二月の同株式二五万株合計価格二億円の譲渡契約の際、右八木慶一が当時未だ殖産住宅(株)の取締役であった関係もあって、右譲渡が会社に知れると退社を余儀なくされる事情のあったことから、同株式が東京証券取引所に上場されるまでは被告人の名義に書換えはしないが、右株式から生ずる利益は被告人に交付する旨の合意がなされたこと、被告人は、昭和四四年一二月、右八木から更に殖産住宅株一六万六八三七株を一株四一七円の割合で合計六九五七万一〇二九円で譲受けたが、その際、その代金の一部として右八木等に対して昭和四五年三月期の殖産住宅株六〇万株の配当金として支払が予想される一三五〇万円から源泉徴収所得税(一五パーセント)二〇二万五〇〇〇円を差引いた一一四七万五〇〇〇円を充当することとして差引処理したこと、右につき八木は検察官に対し「相殺」した旨供述していること、被告人と右八木との話し合いにより、名義人たる八木等において右株式六〇万株分の配当収入を申告したこと、右配当収入を申告したことによる総合課税にともない加算される税額については、八木から被告人に対し支払方を申し出たが、結局、八木において負担したこと、右に関連し八木が本件の証人として法廷に出廷し、被告人に対する配当所得の関係で二重課税が問題となり、その後約一ヶ月後に八木に対する右配当収入分につき減額更正されていること、前記一六万六八三七株の分については、八木において被告人に譲渡後も自ら配当金を受領しており被告人に交付していないこと、一株四一七円の計算は当時、税務署長が殖産株式の時価を一〇〇〇円と評価していたところから一対一・四株の割合による無償株式の配当分を逆算したものであること、前年の昭和四四年分においても、同四五年分と同様に予想配当金額を売買代金の支払に充当、差引いていること、以上の事実が認められる。

右の事実に併せ、被告人の第二三回公判における(配当は)「どうせあなたのほうにくるんだから申告はあなたがするんだねと、なぜかというとあなたのほうで申告をしなさいと、本来戸栗に買ってしまえばこっちにくる配当ですとそっちにいってしまうんだから、その分まけなさいと、まけろということを強く主張したつもりです」との供述部分、八木の第一六回公判における(税金分を)「もってくれませんかというようなこともあったんだけれども、結局話合いで、私、了解の下に、まあ、おまけしたということになります」との供述部分や、一六万六八三七株についての配当金は八木において取得し被告人に後にでも交付していないこと等を総合すれば、本件は、被告人が殖産住宅株一六万余株の譲受けに際し、八木に対し、被告人において前記六〇万株の名義変更をせず、更に、予想される配当金請求権を放棄する代りに、右配当金相当額を値引させる合意が成立して株式を取得したものと認めることができる。

三  検察官の主張に対する判断

検察官は、本件につき実質配当金を取得しているのは被告人であるから、被告人に配当所得が生ずると主張するが、しかしながら、本件株式売買は、未だ三月期決算の配当基準日である三月三一日より前になされた取引であるから、右取引時点においては、法人からその株主に支払われるべき配当は未だ存しないので、「配当所得」が被告人に生ずべきいわれはないといわざるを得ない。

また、本件は、法人から配当基準日における株主名簿上の名義人に対し配当金が支払われた場合であるから、名義人と実際の配当受領者は一致しているのであって、税法上の「実質所得者課税の原則」の適用はない。ただ、名義人においては、後日、株式譲受人との間において私法上の不当利得返還の債務を負担しているにとどまるのみである。

本件配当所得については、前示のとおり、既に名義人である八木慶一から同人名義で所得税確定申告書が提出され、納税済みであったところ、昭和五〇年一一月一日同人が当法廷において右事情を証言したため、これを放置したまま被告人に対する本件配当所得の訴追を維持することは明らかに二重課税の主張となることから、課税庁において、本件公訴維持の支障とならぬよう、翌一二月二七日付を以て急遽八木に対する減額更正をなした事情が窺われる(弁2八木慶一の昭和四五年分所得税確定申告書写)。課税庁の側におけるかかる後日の弥縫策によって、本件配当所得を被告人に帰属するものとはなし得ない。

また、検察官は、被告人が八木に確定申告をさせて累進による高率課税を免れたものと主張するが、八木の前掲確定申告書(弁2)と被告人の申告額とを対比すれば、右八木の方が高額所得者であることが窺われ、従って右論旨は前提を誤っており失当である。

本件一六万六八三七株の取引の前提となった株価四一七円の根拠につき、八木は税務署長において時価一〇〇〇円と評価したことから無償割当分を計算し一株金額を算定したと述べており、当時の殖産住宅株のような非上場株式の評価は、一般に純資産価格方式、配当還元方式、類似同業者基準方式等の方法があるが、いずれにおいても、配当額のみを基礎として株価を算定することはしていないから、予想配当金の額を控除したことによって残額が直ちに配当落後の時価を示すものでもないから(のみならず控除された予想配当額は既に代金精算済の六〇万株分であって、当該取引の対象たる一六万余株分のそれではない。)、寧ろ、右金額を差引かせることは、株式を廉価に取得するための駆引といえよう。

要するに、本件は右予想配当金相当額を控除させた代金額によって株式を取得したものとみられるから、右値引後の価額が取得価額を構成することとなる。

右八木は、検察官に対し予想配当額を株式譲渡代金と「相殺」したと述べているので、被告人が八木に対する一三五〇万円の債権と株式代金債務とを相殺したものと認められれば、同額の収入があったものとみられるのではないかとの疑問があろうが、しかしながら、右は相殺適状(民法五〇五条)にはないので、予想配当請求権は、相殺の対象たり得ず、従って、相殺の効果は生じないのみならず、当事者の意思解釈としても、当事者の達しようとする目的が株式の売買であって配当金を得させることにあるのではないと認むべきであるから、八木が検察官に対し不用意に「相殺」というような法律用語を用いて供述しているとしても、それを字義どおりに解する必要はなく、かかる供述の存在は前示認定を左右するものではない。

また、本件における叙上の意味の予想配当請求権なるものは、それ自体は独立に売買の対象たり得ず、単なる将来の配当金を受け得られる期待権に過ぎず、その段階においては未だ裁判上取立権を行使し得ないから、税法上実現せられた収益として「雑所得」の対象ともなり難いことは明白である。

以上のとおりであるから、本件「配当所得」が存在する旨の検察官の主張は失当たるを免れない。

第八昭和四五年分貸付金利息の存否について

検察官は、被告人の昭和四五年分逋脱所得として小堀に対する貸付金にかかる受取利息一一万〇三七四円の存在を主張するところ、《証拠省略》によれば、一応右検察官の主張するが如き数額の存在は窺われるが、しかしながら、右貸付金利息収入を検討するに、元利金とも最初に一部入金されたのは昭和四六年一二月一五日であるから、従って、昭和四五年一二月末日現在においては、右貸付金利息は未収利息であったことになる。しかも、右利率とされた日歩二銭五厘の約定は、昭和四六年一月二八日付とみられる小堀作成にかかる三和銀行用紙のメモ以外には、本件全立証によるも見出されず、右期日以前の昭和四五年中に右利率の約定が成立していたものと認めるに足る証拠も存しない。そうだとすれば、右約定は昭和四六年一月二八日になされたものとみる外はない。

ところで、被告人個人は私人であって商人ではないから、私人たる小堀に金員を貸付けたとしても、約定のない限り当然に利息付となるものではない。

未収利息に対する課税は、利息支払の約定が存在することを前提として、右利息相当額が収受されない場合であっても、期限が到来すれば「収入すべき金額」として利息債権が法律上何時でも裁判上行使し取立て得るものであるから権利として確定し収益として実現があったものとされ、以って課税の対象となるのである。

従って、本件においては、貸付金利息収入なるものは、昭和四五年中には未だ権利として確定したものとは到底いえず、「収入すべき金額」に該当しないので、検察官の主張する貸付金にかかる受取利息一一万〇三七四円は、逋脱所得を構成しないものというべきである。

第九昭和四六年分絵画の譲渡所得について

一  弁護人の主張

弁護人は、被告人において昭和四六年にルノアール作の絵画「バラ」を譲渡して得た差益とされる二六〇万円について同年分の譲渡所得の申告をしていないが、それは買受け当時の被告人の認識としては、同時に入手した小絲源太郎作の油絵は、いわゆる「おまけ」と称する無償の添付であって、ルノアールの作品の取得価格は一三八〇万円であると信じていたのであるから、同額で右作品を譲渡したからといって譲渡差益が生ずるいわれはなく、原価不明の小絲源太郎の作品が手許に残ったことの故を以って譲渡所得に脱漏ありとして責めることはできない旨主張する。

二  当裁判所の判断

《証拠省略》によれば、被告人は昭和四五年一〇月二一日ころ、松屋デパート銀座本店において、日仏画壇展の催物が行なわれた際、ルノアール作「バラ」(四号)と小絲源太郎作「パンジー」(四号)の二枚の絵画を計一三八〇万円で購入し、翌四六年六月ころ、知人の長富千代一を介して竹内俊夫に対し、右のうち、ルノアールの「バラ」のみを一三八〇万円にて売渡したため、小絲源太郎の「パンジー」のみが被告人の手許に残った事実が認められる。

これにつき検察官は、松屋の売上伝票に右取引の内訳としてルノアールの作品につき一一二〇万円、小絲源太郎の作品につき二六〇万円で売渡したとの記載のあることから、右ルノアールの作品を一三八〇万円で転売したことにより二六〇万円の差益を得た旨主張する。

しかしながら、被告人は同日、松屋の美術部担当者からルノアールが一四五〇万円位、小絲源太郎が二八〇万円位と絵画の価格を告げられていたが、結局、両作品を一括して一三八〇万円ということで値段の折合いがつき取引が成立したものであって、被告人において右絵画のうち、小絲源太郎の「パンジー」についてはせいぜい一〇〇万円程度の値打ちではないかと供述していることは認められるが、それが二六〇万円であるという具体的な金額を告知された事実を認めるに足る証拠はなく、松屋の振替売上票の記載は、同デパートの内部的書類として値引決済処理のため数額を算定したものに過ぎず、被告人に宛同金額の記載されている請求書が送付されていた事実も認められないから、これらはいずれも差益二六〇万円と算出し得る根拠となし難い。

ところで、本件のように、特定の商品につき値段の交渉をする際、価格を値引きさせる手段として他の商品を添付することにより併せて一本となし値段の合意が成立するような場合には、当事者の意思解釈として、特段の事情の認められない限り、一般的には当初の各商品の値段の合計額と合意した一本の値段の金額との差額が、それぞれの商品の当初の値段から按分して減額されて取引が成立したものとみるのを相当というべきである。

そうすると、本件においては、前述したように、被告人も添付した小絲源太郎の作品が無価値ではなかったことを認めていたのであり、右添付された商品がこれを収益となし難い特段の事由も認められないのであるから、叙上の理由により、按分計算すれば、小絲源太郎の正価とされて被告人に告知されていた「パンジー」二八〇万円から五六万六五〇〇円を控除した二二三万三五〇〇円を以て同絵画の取得費と認めることとなる。

そうすると、ルノアーールの「バラ」の取得費については、検察官の主張する二六〇万円と右二二三万三五〇〇円との差額三六万六五〇〇円を一一二〇万円に加算した一一五六万六五〇〇円と算定するのが相当である。

その結果、本件譲渡所得の金額は、ルノアールの「バラ」の譲渡益二二三万三五〇〇円から法定の特別控除額四〇万円を差引いた一八三万三五〇〇円と算定される。

しかも、被告人において、右小絲源太郎の絵画につき、価値の存すること、従って、ルノアールの絵画の売却により譲渡益の生じたことの認識があり、逋脱の故意の認められること後述のとおりであるから、右譲渡所得の金額は昭和四六年分の逋脱所得の一部を構成するものと認められる(按分計算の結果、ルノアールの絵画の取得費が三六万六五〇〇円だけ増加したことに伴い、譲渡所得の金額は同額だけ検察官の主張金額より減少することとなる。)。

第一〇偽りその他不正の行為について

弁護人は、本件株式取引において被告人が仮名もしくは第三者名義を用いたことにつき、右は単に自己名義と区別するためであって隠匿の意思もなく、また、その余の所得についても逋脱の犯意を欠き不正行為に当たると見得る行為もないし、資産の隠匿もないと種々主張しているので以下検討することとする。

一  仮名若しくは第三者名義による本件株式売買が所得隠蔽行為にあたることについて

1  弁護人の主張

昭和四七年分所得のうち、被告人においてなした仮名若しくは第三者名義を使用した株式売買につき、弁護人は、同年分における使用名義のうち、「A子」、「D」、「E」については、いずれも被告人と住所を同じくする妻、実子、実弟であり、これらの者の名義を使ったのは、それまでの自己名義の取引と区別するためであって、被告人の売買であるという事実を隠匿する意思はなかったものである。

また、「河野一」、「関猛」、「小林勝」の各名義は仮名であるが、それは大東証券(株)の石橋がやったことであり、被告人の知らざる取引名義である、これらの名義を利用したのは取引の便宜であり、被告人には脱税の手段とする意図は全くない旨主張する。

そこで、本件株式取引において用いられた仮名もしくは第三者名義による売買が所得隠匿行為に当たるか否かにつき判断することとする。

2  当裁判所の判断

(一) おもうに、株式市場における売買は、買手、若しくは売手が証券会社を介して証券取引所において自己の欲する銘柄につき、その株数、値段を申出ることにより行なわれるのであるが、その際、主として需給如何によって取引価額が形成されるのが通常であるところから、時に、大口の買手もしくは売手の出現によっては価額が著しく変動を生じ、暴騰または暴落を生ずることもあり得る。

そこで証券市場では、いわゆる仕手筋と称する投機を目的に証券市場で大口の売買をする者の取引動向によっては特定の銘柄の株価が変動することから、仕手筋は、取引の駆引として、証券会社に対しことさらその実名を伏せて仮名もしくは第三者名義を用いさせ株式売買を行うことが少なくない。

これは証券のみならず、一般に商品、金融等の市場においても通常散見せられるところであって、右が取引の手段として行なわれた場合には、社会通念上、価額形成の方法として許容される範囲内の商慣習の一つということができるから、そのこと自体では何等違法性を帯びるものとは解されない。

しかしながら、有価証券の取引によって得られた所得については、その取引回数、数量の如何によっては課税の対象となり得る場合もあることから、仮名若しくは第三者名義の使用が課税所得を隠ぺいする目的で所得秘匿の手段として利用されるときは、たとえ商慣習としてなされたものであろうとも、それが過少申告行為と結び付くことによって偽りその他不正の行為となり得るものと解すべきである。

これを本件についてみるに、被告人は、後記認定の如く、法の規定する五〇回かつ二〇万株という課税要件を了知していたところから、右課税を免れる目的を以て仮名若しくは第三者名義を用いて株式取引を行なっていたものと認められ、これは自己の所得税を免れようと企て、有価証券の売買について他人の取引であるもののように仮装した所得秘匿行為と認めることができる。

(二) これを個別に検討すると次のとおりである。

① 先ず、大東証券(株)における「A子」名義の口座について検討する。

叙上認定のとおり、被告人は小堀が富士/馬喰町の被告人の預金や同支店へ預入れていた株券を勝手に利用したり売却したりして、被告人名義の株式取引をして被告人に損害を与えたので、その残株を整理して右損害の補填に充てたのであるが、《証拠省略》によれば、確かに昭和四七年二月二日以降、被告人の妻「A子」名義を用いることによって、それ以前の小堀の行なった被告人名義を用いた取引及びその残株の整理のため取引と区別する必要のあったことは一応は窺われるけれども、しかしながら、その後、昭和四七年九月二八日以降右被告人名義の口座を利用して新規銘柄の買付けをしていること、右A子名義の口座で買付けた住友石炭一〇二万七〇〇〇株、新日本製鉄一〇〇万株等をいずれも右被告人口座を使って売却していること等、右両口座を共用して取引主体を混淆させていることに併せ、被告人において、既に株式取引につき五〇回かつ二〇万株以上の売買があれば課税の対象とされることにつき認識のあったこと、昭和四七年二月からは、これ迄の昭和四六年以前に行っていた株式取引とは著しく異なって多数回、多量の株式取引を行なうようになってきたこととを総合して考えれば、遅くともA子名義で取引口座の開設後に、被告人名義を用いて新規買付を開始した時点では、右課税対象を免れようとして、それ迄のA子名義をそのまま利用してあたかも別人の取引の如く仮装したものと推認し得る。

② 次に、山一証券(株)における「E」名義及び立花証券(株)における「D」名義の各口座についてみるに、右名義を用いたことにつき、弁護人は、これ迄の自己名義の取引と区別するための必要から行なった旨主張するが、しかしながら、当時、被告人は、岡三証券(株)、大和証券(株)においては実名を用いて取引していること、被告人自身も、後日において、右、E、D各名義は「偽名」であるとの認識をもっていたこと(符85の手帳中の一九七四年二月二二日、同二三日の欄にかけて「偽名、、亨、D」の記載が認められる。)や前同様被告人において五〇回、二〇万株以上が課税対象である旨の認識を有していたこと、他に何ら特段の理由の窺われないことを併せ考えれば、右第三者名義を用いたことは自己の取引につき課税を免れるための隠蔽行為であると推認しうる。

右課税対象となるべき回数かつ株数の算定は、取引を行なった者個人単位に数えるものであるから、たとえ第三者が住所を同じくしても差支えないので、右認定に影響はない。

③ 最後に、大東証券(株)における「河野一」、「関猛」、「小林勝」名義の各口座について弁護人は、右河野一等の名義の使用については、証券会社側のやったことであって取引の便宜から右名義を利用したに過ぎない旨主張し、被告人も「ぼくの名前が出ると、ぼくは当時、大株主だったから、まずいということの配慮から一回か二回そういうことがあった」旨弁解するが、しかしながら、関猛名義の金商又一株、小林勝名義の日立製作所株、東芝株、東洋酸素株、昭和海運株の各売買については、被告人はこれら会社の大株主として株式を保有していた事実は認められないのみならず、石橋が東洋酸素株について注文伝票総括表を昭和四七年になって持ってきたこと、別表9番号179の日本毛織株の売付注文伝票に「内出来」の表示がみられるようになったこと、被告人自身も「小林勝という口座を石橋が使っていることも私の自宅に送られてくる売買報告書で気がついております」旨の供述をしていることを併せ考えれば、その頃、売買回数が既に課税対象となる虞れがあることを知って右課税を免れるために、仮名ないし第三者名義を用いることを石橋が企て、被告人もこれを了承しながら売買を続けさせたものと認めることができる。

従って、右行為は所得を隠蔽する手段として過少申告行為と結び付くことにより偽り不正の行為ということができる。

二  虚偽過少申告行為について

弁護人は被告人においては株式取引にかかる売買益以外のその余の所得についても逋脱の犯意を欠き、不正行為に当たると見得る行為もなく資産の隠匿もないと主張する。しかしながら、株式取引にかかる所得秘匿行為については、前示認定のとおりであり、その余の所得についても次のとおり不正行為と認め得る行為が存在する。

すなわち、昭和四六年分にかかる譲渡所得や、同四六、四七年分にかかる配当所得、及び貸付金利息、受取手数料等について、後記のとおり、被告人はその存在を知悉しており、しかも、所携の手帳に譲渡所得たるルノアールの絵画の売却によって計算上少なくとも一〇〇万円位の利益が出ることを自らメモしたり、貸付金利息についても、貸付先小堀との間に金額や利率の約定をしたメモの提出を受けてこれを所持しており、受取手数料についても福安健二や安喰諄からの金員の受領について同様に手帳に金額をメモしている事実が認められ、かつ、右の事実を知っていながら顧問税理士に対し各確定申告提出に際し右所得を申告するよう指示しなかったのであるから、以上の事実によれば、被告人において右所得の存在を充分知悉しながら、あえてこれを除外したまま申告に及んだものと認められるので、それは被告人が所得金額をことさら過少に記載した内容虚偽の確定申告書を提出したこととなり、従って、そのこと自体で「偽りその他不正の行為」に当たることとなる。

第一一逋脱の意思について

弁護人は、本件において被告人には税を逋脱する犯意もなかった旨主張し、被告人も当公判廷において右にそう供述をなしている。

しかしながら、本件は昭和四六年分につき逋脱の意思をもってことさら内容虚偽の確定申告書を提出し、同四七年分につき、名義を仮装するなど所得秘匿行為をしたうえ内容虚偽の確定申告書を提出して税を免れたものであり、被告人には当年分における各種所得の存在につき、充分に知悉していたうえで右申告書を提出したものと認められるのである。

なお検察官は、昭和四五年分につき計算誤謬による過少申告分を逋脱所得に算入しているが、右の部分については逋脱の犯意を欠くものと考える。

それでは以下被告人に逋脱の犯意を有していたことについて述べることにする。

一  計算誤謬(昭和四五年分)

検察官は、被告人の昭和四五年分逋脱所得として、被告人に所得金額計算上の誤りで過少申告となった分四〇〇〇円があるのでこれを算入したと主張しているが、被告人の昭和四五年分所得税確定申告書によれば、配当収入金額九六六万四二五〇円、負債利子控除五二六万三八〇五円として計上しているため、右配当所得は計算上、差引所得金額として本来は四四〇万〇四四五円となるべきところ、四三九万六四四五円となる旨算定して確定申告書に記載し提出していることが認められ、この点につき特段の理由の窺われない本件においては、右差額四〇〇〇円については、配当収入から負債利子を差引き計算する際に誤って右金額を多額に差引いて仕舞った計算誤謬と認められる。

ところで、租税逋脱犯は故意犯であるから、犯罪の成立には、故意―脱税の認識を必要とするところ、右逋脱犯の故意については、逋脱金額が正確にいくらであるか、あるいは逋脱金額の計算のもととなる所得について、どの程度所得を圧縮したかについての具体的な金額の正確な認識を必要としないが、しかし、他方、故意に基づく所得の隠蔽工作とはかかわりなく、故意によらず、あるいは思い違いによる計算違いによって、客観的に負担する税額と申告税額との間に齟齬を生じ、客観的には過少申告の結果を生じても、それは偽り、不正の行為とは結びつかないから逋脱犯とはならないと解すべきである。

従って、隠蔽工作とは明らかに無関係に生じた計算誤謬や思い違いによる収入の記載漏れ等によって生じた、税の過少申告の部分は、偽り、不正の行為による逋脱の故意の対象外といえるから、この部分については逋脱所得を構成しないといわねばならない。

また、それは所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の確定申告書を所轄税務署長に提出するものともいえない。

これを本件についてみるに、叙上認定のとおり、四〇〇〇円の金額については、一見して明白に計算誤謬をしたものと認められ、それは、故意に基づく所得の隠蔽工作とは明らかに無関係に生じたものであるから脱税の犯意は推認されない。

従って、故意を阻却し、その部分は行為者の認識した正当な所得金額(実際所得金額)には含まれないといわねばならない。

故に、当該所得税の過少申告の部分は、逋脱の故意による偽り、不正の行為の対象外であると認め、右に該当する部分の金額は逋脱所得額から控除することとした。

二  配当所得(昭和四六年分、同四七年分)

弁護人は、被告人の配当所得についての逋脱の犯意を否認するが、被告人は検察官に対し「昭和四六年分では、私の記憶では、三菱地所の配当や大林組の配当あるいは三基産業の配当を申告しておりません。また、昭和四七年分については、東洋酸素、新日鉄、三菱金属工業、武蔵野映画劇場などの株の配当を申告から洩らしております。こういった配当金収入を申告せず、脱税したことは間違いありません」旨供述しており、この点をみても逋脱の犯意を認めることができる。

三  貸付金利息(昭和四六年分、同四七年分)・受取手数料(昭和四七年分)

本件昭和四六年分及び昭和四七年分における小堀に対する貸付金利息につき、被告人は叙上認定のとおり、小堀との間に昭和四六年一月二八日日歩二銭五厘の約定をしたこと、同年一二月一五日最初に小堀から元利金の一部を受領していることが認められ、右利息収入につき検察官に対し、申告していない事実を認めており、また、昭和四七年分における福安健二からの毎月二〇万円宛の、株式会社福安工務店が殖産住宅(株)の指定業者となることについて被告人が世話をした、その謝礼代合計二四〇万円につき、被告人は検察官に対し、右金員を受領していながら申告しなかった事実を認め、また、同年分における安喰諄からの、同人を被告人が立花証券(株)の小堀や大東証券(株)の石橋に紹介した紹介料三四三万一〇〇〇円についても前同様検察官に対し、右金員を受領しながら申告しなかった事実を認めている。

しかも、被告人は昭和四六年分、同四七年分の各確定申告書の提出に際しても、J税理士に対し株の売買による利益や、配当所得などを申告するように指示しなかった事実を認めているのであるから、これを叙上認定の事実に併せみれば、被告人において逋脱の意思をもって、ことさら虚偽過少の申告書を提出したものと認めることができる。

四  譲渡所得(ルノアールの絵画にかかる売却益)(昭和四六年分)

弁護人は、被告人が松屋デパート銀座店からルノアール作「バラ」(四号)、小絲源太郎作「パンジー」(四号)を合計一三八〇万円で購入した後、知人の竹内俊夫に対し右ルノアールの「バラ」のみを一三八〇万円で売渡したことにつき、被告人の認識としては「バラ」を一三八〇万円で購入し、その際右「パンジー」はまけてもらったもので無償の添付であってルノアール作の油絵の取得価額が一三八〇万円であると信じていたのであるから、竹内には「バラ」を原価で売渡したものとしか考えておらず、従って、ルノアールの作品を処分し原価不明の小絲源太郎作の小品が手許に残留したからとしても逋脱の犯意はない旨主張し、被告人も右にそう弁解をする。

しかしながら、《証拠省略》によれば、「パンジー」を無償で贈与したことはなく、「バラ」と二点計一三八〇万円との約で売買が成立したものであることが認められ、これに、「パンジー」の正価は二八〇万円と告げていたこと、当時、小絲源太郎の絵画が一号当り五〇万円から八〇万円で取引されていたことや、被告人が自己の手帳に「ルノア―ル1380万-100万=1280万」と記入していること、被告人は検察官に対し「私は(この絵「ルノアール」)一三八〇万円までまけさせました。そして、もう一〇〇万円まけるように話したら、まけてくれないので、同じ売場にあった小絲源太郎の「パンジー」の絵を指差し「これをつけろ」と云ったら、つけてくれたのです。……このような経緯ですから、私からしてみれば、「パンジー」の絵は、せいぜい一〇〇万円の値うちしかなく、この取引で一〇〇万円儲けたにすぎないと思います。……この手帳一月二四日の欄の上にこのことが書いてあり、私としては、ルノアールの「バラ」は一二八〇万円で買って一三八〇万円で売ったと思っています、この分も申告していません」と供述していることをみれば、被告人において「パンジー」の絵画を無償で手に入れたと信じていたとする弁解は到底信用できないといわざるを得ず、少なくとも右「パンジー」の絵画につき一〇〇万円程度の価値のあったことは認識していたのであるから、右「パンジー」を手許に残して「バラ」のみを二点合せた購入価格と同額で売却したことにつき、右譲渡により「パンジー」の価値相当額の利得を取得した旨の認識はあったものと認めるのが相当である。

しかも右一〇〇万円程度の価値は、それ自体不確定な数額であるうえ、被告人において右利得の実現がありながら、これを申告する意思を全く有せず、ことさら虚偽過少の申告書を提出したことよりすれば、たとえ被告人において叙上認定のとおり、「パンジー」の価額が二二三万三五〇〇円であることにつき、その価額の明確な認識がなかったものとしても何等故意を阻却しないものと解するのが相当である。

けだし、所得税逋脱犯の構成要件は、「偽りその他不正の行為により(中略)所得税を免れ、又は(中略)所得税の還付を受け」ることであり(法第二三八条第一項)、その構成要件的結果は「偽りその他不正の行為」に基づく実際額と申告額との不一致である。本件は叙上掲記の各事実を総合すれば、被告人において確定申告書の提出に際し、右「パンジー」に相当する利得の認識が推認されるのに、右所得を除外して、ことさら虚偽過少の申告書を提出したことにより、偽り不正の行為の認識があったものと認められる。そして実際額と異なった申告額による不一致の存在は、右「偽りその他不正の行為」によって惹起されたものであるから、それは逋脱の結果の発生ということができる。しかして、被告人には、申告に際し、右絵画の具体的数額の認識はないとしても、納税義務についての認識があり、如何なる原因で実際額と申告額との間に不一致を生ずるかの認識は少なくとも有していたことは認められるのであるから、逋脱の故意を認めることができる。被告人には認識と結果との間に喰い違いはなく、従って、錯誤を論ずる余地はないからである。

五  昭和四七年分における株式売却益(雑所得)にかかる課税要件の認識

所得税法上、有価証券の譲渡による所得に対する課税については、同法施行令第二六条第一項において実質的基準を規定するとともに、同条第二項は、その年中の取引の回数が五〇回以上であり、かつ、その年中の売買をした株数又は口数の合計が二〇万以上である場合には、同条第一項に規定する取引に関する状況がどうであるかを問わず、その者の有価証券の売買による所得は同項の規定に該当する所得とする旨の形式的基準を定めている。

しかるところ、被告人は、株式売買益が課税の対象になることは全く知らず、証券会社において株式を売却したときに売却代金から差引かれる有価証券取引税がこの種税金のすべてであると思っていた旨弁解するので検討するに、以下述べるように、被告人は、年中の売買の回数が五〇回以上、売買の株数が二〇万株以上である場合にはその株式売買による所得が課税の対象とされる旨の形式的基準を了知していたものと認めることができる。

すなわち、被告人は、昭和二四、五年頃から株式の売買を行なっていたものであって、昭和三四、五年頃には知人染谷徳重が嘱託をしていた平原証券(株)に二〇〇万円を出資したほか、同証券を通じて株の取引を行い、昭和四五年三月頃からは、右染谷が立花証券(株)の嘱託となっていたこともあり、同証券において株の売買を行なうようになり、同年六月頃には信用取引をも始めるようになった。また、被告人は殖産住宅(株)の下請となって間もなく、同社の株式の取得に努め、昭和四三、四年頃には、同社が東京証券取引所第二部に上場される見通しであることを知り、更に、これを買集め、昭和四四年末頃には一〇〇万株を保有するに至った。

しかも、被告人は、株式の継続的な取引から生じた所得が、課税の対象とされる基準を知った時期につき、所得税の申告関係等をみて貰っている紺野経営研究所の事務員の新井廣八から「昭和四四年か四五年だったかに、この新井と一杯飲んだ時だったと思いますが、年に三〇回だったか五〇回だったかの回数以上、売買取引があり、また、二〇万か五〇万かの株数だけ売買取引をすれば、株の売買による利益を他の所得と併わせて申告しなければならないと聞いたことがありました」と検察官に供述し、ほゞその時期を明らかにしている。また、右新井廣八も昭和四六年一〇月以前に被告人の事務所において年間五〇回以上、二〇万株以上の取引があって儲けがあれば申告しなければならない旨を告げた旨供述している。

更に、小堀も、被告人は昭和四六年一二月頃から株式の売買にかかる所得について課税されることを気にかけるようになったと供述し、被告人自身も、検察官に対し「この昭和四七年における株の売買取引の回数が五〇回をこえていることは間違いなく、この分の所得をこの年の確定申告書に載せなかったのは納税ということについて自分自身、あまり重要視していなかったためで、申訳けなかったと反省しております」と供述している。

なお、昭和四七年九月頃の大東証券(株)における石橋扱いの被告人の株式取引につき注文伝票に「内出来」の表示もみられる。

これらの事実を併せみれば、被告人は昭和四六年一〇月頃以前において、株式取引につき五〇回かつ二〇万株以上という課税要件の存在を認識し、昭和四八年三月の確定申告書の提出に際しては、昭和四七年分中の株式取引が右の形式的基準に該当することを充分認識しながら、敢えて株式取引による所得を申告せず所得税を逋脱せしめたものと認められ、被告人に所得税逋脱の故意のあったことは明らかである。

六  虚偽過少であることの認識

被告人は、昭和四六年、同四七年分の各所得税確定申告書の提出に際し、右申告書に記載された各金額が過少であることについては充分に認識していたということができる。すなわち、そのことは、被告人において前示のとおり各年分の各所得につき認識していたこと、検察官に対して「納税ということについて自分自身あまり重要視していなかった」、「納税ということについて重要視する気持が欠けていたことから(中略)申告書に載せることをしなかったのです」、「正しく申告されていません」等供述していること等を併せみれば、本件各年分の申告が虚偽過少であることの積極的な認識を充分認めることができると云い得る。

七  昭和四六年分株式売却益にかかる課税要件の認識の存否

ちなみに、昭和四六年分につき、検察官の被告人に対し株式売買益による雑所得が存在する旨の主張が到底容認できないことは叙上認定したとおりであるが、更に附言すれば、「犯意」の点においてもこれを認めることができない。

すなわち、被告人は昭和四六年分にかゝる自己の株式取引については、前年分同様に立花証券(株)及び岡三証券(株)にかかる取引及び相対売買についての認識しかなく、小堀との関係は、被告人自身資金を貸与していたとの認識しかないのであって、自ら小堀に株式取引を一括委任していたとの認識はなかったものと認められるからである。

被告人が検察官に対し、小堀に売買を委せきりにしていた旨供述していること、あるいは小堀の注文を事後追認する形で私の取引と認める旨の供述や、売買報告書が送られてきたり資金を出していたことから事後に追認していたという意味で私自身の取引であったと供述している部分はみられるが、それらはいずれも被告人の取引と了知していたものでないこと叙上説示したとおりであり、被告人において小堀に取引を委任したとの認識がなければ、本件昭和四六年分において、小堀が数百回に及ぶ株式取引をしたとの認識があったとしても、何等逋脱の犯意を生ずるものではない。

けだし、株式取引による所得に関する納税義務の認識とは、継続して有価証券を売買することによって所得が生じたとの事実の認識を要するのであって、それは、株式取引にかかる所得が原則として非課税である以上は、単に株式の売買益が生じていたとの点についてのみの認識があっただけでは足りないからである。右「継続的な取引」の認識とは、株式売買の株数及び回数が多量にしてかつ多数回に達しているとの認識があれば足り、五〇回かつ二〇万株の具体的な数字までの認識は要しないが、少なくとも、それが課税の対象となる程度の回数、株数の取引をなしたとの事実の認識は最少限必要であって、右は法律的評価の認識の問題ではないと解するのが相当である。

従って本件は、叙上認定のとおり、小堀の取引は自己に帰属する取引ではなく、単に資金を貸与して面倒をみていたとの認識しか被告人はもっていなかったのであるから、被告人に立花証券(株)、岡三証券(株)、相対売買による収入が存在することについての認識はあったとしても、それのみでは、回数の点からみても、とうてい継続的な取引であると認識していたものとは云い得ないから、逋脱の犯意すら欠くといわざるを得ないからである。

次に、被告人が大東証券(株)宛「取引名使用届」を提出したことについても、被告人には逋脱の意思がなく勿論、所得秘匿行為にもあたらない。

けだし、叙上認定したとおり(第三)の事実に加うるに、小堀が約一年にわたる多数回かつ多額の株式取引を自己に帰属するものであることを了承して「取引名使用届」に署名捺印したこと、右書面の作成も小堀の意に反して強制させられたとの状況の窺われないこと、「詫状」に記載の五〇〇〇万円の数額も四七年手帳記載の貸借計算書の金額とほゞ一致するものであることを併せ考えれば右「取引名使用届」が仮装隠蔽のために作成されたものでないことを肯認し得る。

検察官は、被告人が本件株式売買の開始から約一年も経過し、しかも年があらたまって、所得税確定申告の準備作業に入る時期になって、突如右のような行動に出たことはまさしく課税関係を考慮しての行動であると主張するが、しかしながら、叙上認定のとおり、昭和四七年二月二日A子名義から被告人自身の取引が開始されたものであって、それ迄の戸栗亨名義の取引は極くまれな例外を除いてすべて小堀に帰属する取引と認められるのであるから、前述の時期において「取引名使用届」を小堀に作成させたとしても、これ迄の戸栗亨名義口座の帰属を明確にして実体に合わせるためになしたに過ぎないものと考えられ、逋脱の犯意は認められないし、「取引名使用届」の提出自体理由のあることであるから、所得秘匿行為と認めることもできないといわねばならない。

第一二逋脱所得金額等の算定について

以上の結果に基いて逋脱額を算定したところ、検察官冒頭陳述書別紙一の一、一の二、一の三の各修正損益計算書掲記の数額と当裁判所の認定した数額(別紙1、2の修正損益計算書参照)との異同は、次の如くである。

一  昭和四五年分

1  個別的検討

(一) 株式売買益

叙上認定したとおり(第五、一)、昭和四五年分における被告人のなした株式売買取引は合計四六回と認められ、右は所得税法第九条第一項第一一号イ、同法施行令第二六条第一項、第二項に該当しないので、右取引による株式売買益は非課税であるから、検察官において逋脱所得として主張する株式現物売買益五一四二万四七〇六円、株式信用売買益△一二九万九一八三円の雑所得については右逋脱所得金額から控除する。

(二) 配当収入

同年分における配当所得中配当収入一三五〇万円については、叙上認定したとおり(第七)配当収入とは認められず、被告人が八木慶一から殖産住宅株を取得した際の値引きと認められ、右金額は別途売却された殖産住宅株の取得原価として検察官において主張する金額から控除すべき筋合のものである。従って、検察官において逋脱所得として主張する配当収入一三五〇万円については右逋脱所得金額から控除する。

(三) 計算誤謬

叙上認定したとおり(第二、一)、検察官において逋脱所得のうち「雑所得」として主張する「計算誤謬」四〇〇〇円については、犯意が認められないので右逋脱所得金額から控除する。

(四) 貸付金利息

検察官において逋脱所得のうち「雑所得」として主張する貸付金利息一一万〇三七四円については、叙上認定したとおり(第八)、昭和四五年中には未収であってしかも同年中に利息債権としての「収入すべき金額」として権利が確定し収益が実現したものとは認められないので右逋脱所得金額から控除する。

2  結論

以上によれば、昭和四五年分逋脱所得として公訴提起された金額、配当所得一三一二万八〇八円、雑所得三七九三万五二四九円にかかる逋脱税額二九一一万四五〇〇円については、すべてこれを認めることができないので、結局本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法第三三六条により被告人に対し無罪の言渡をする。

二  昭和四六年分

1  個別的検討

(一) 譲渡所得

検察官の主張する「譲渡所得」に関し、被告人においてルノアールの絵画を売却し、よって「収入金額」一三八〇万円を取得したことは認められるが、前示認定のとおり(第九)、その取得費については一一五六万六五〇〇円と認めるのが相当であるから、譲渡所得金額については法定の特別控除額四〇万円を差引き、金一八三万三五〇〇円と認められるので、検察官主張額との差額三六万六五〇〇円を逋脱所得額より控除することとした。

(二) 株式売買益

昭和四六年分における被告人の株式売買取引についても、叙上認定したとおり(第五、二)、合計一七回としか認められないので、前年分同様右取引による株式売買益は非課税であるから、検察官において主張する「雑所得」のうち株式現物売買益一一億二三九七万二四六三円、株式信用売買益△二五一三万〇一九四円については右逋脱所得金額から控除する。

(三) 貸付金利息

検察官において逋脱所得中「雑所得」として主張する貸付金利息は認められるところ、これに加えて叙上認定したとおり(第八)昭和四五年分の小堀亘に対する一一万三七四円についても当年中に入金となっているが、検察官において右金額を当年分の貸付金利息として主張していないので、当裁判所は訴因の拘束を受ける結果、検察官において主張する当年分の金額のみを逋脱所得として認めるにとどめることとした。

(四) 支払利息、有価証券取引税

雑所得中「支払利息」△六四九万六六三五円、「有価証券取引税」△三七二万五二二〇円については、前示認定のとおり、当年分の株式売買益にかかる「雑所得」が非課税であるから、右にかかる株式取得に要した負債利子である「支払利息」や殖産住宅株の相対売買で負担した「有価証券取引税」についてのみ、そのまま是認することは相当でなく、またこれらはいずれも右争点に関連する事項であって、これを控除しても何等被告人に不利益ではないと解されるから、右両項目の各金額は控除することとした。

2  結論

以上の結果、被告人の昭和四六年分の実際所得金額については、検察官の主張額から、「譲渡所得」中の取得費差額三六万六五〇〇円、「雑所得」中の株式売買益合計一〇億九九九九万五九八〇円(現物売買益と信用売買損の差額)を控除するとともに、「支払利息」六四九万六六三五円「有価証券取引税」三七二万五二二〇円各相当額の減算額をそれぞれ控除した結果、金五五七二万五四六一円と分離長期譲渡所得一億五六二五万円とを合計した二億一一九七万五四六一円となり、逋脱税額は二八四万四二〇〇円となる(別紙1の修正損益計算書及び別紙3の税額計算書参照)。

三  昭和四七年分

1  個別的検討

(一) 株式売買益

(1) 総額

昭和四七年分における被告人の株式売買取引については前示認定のとおり(第五、三)、八三回と認められるので、「雑所得」としての株式売買益を算定したところ現物取引につき六億九八五二万四〇九九円、信用取引につき△二〇九五万〇三六五円となったが、その算定根拠は次のとおりである。

(2) 株式売買益算定の方法

(イ) 前示認定のとおり(第三並びに第五、二及び三)、大東証券(株)における戸栗亨名義の株式取引は、昭和四六年二月から同四七年二月一日までは小堀に帰属する取引である(但し、前記第三、二、1、(三)記載のとおり後楽園、日本信販各株式の取引は被告人に帰属する。)と認められ、二月二日以降の取引は被告人に帰属するものと認められるので、検察官の主張する昭和四七年分雑所得中の株式売買益(現物・信用)から、右小堀に帰属する昭和四七年一月五日から同年二月一日までの分にかかる所得を控除する必要がある。

先ず、「現物取引」については、所得税法第四八条第三項及び同法施行令第一一八条に拠り各株式譲渡原価を各売却銘柄ごとに「総平均法」(令第一〇五条)に準じた方法によって算出し、右各売却価額と各譲渡原価等の差額の合計額を以て売買損益とすることとした。そこで、各株式現物取引損益調査書(昭和四十六年分、昭和四十七年分)によれば、右は、△四五四万五六六三円の損失となる(別紙5参照)。

次に「信用取引」については、同法施行令第一一九条により各株式譲渡原価を各売却銘柄ごとに個別的に対応させて、右両者の差額の合計額を以て売買損益とすることとした。そこで、株式信用取引損益調査書、信用取引顧客勘定元帳によれば、右は△六七六二万九六三三円の損失となる(別紙6参照)。

(ロ) 次に叙上認定(第五、三、2、(五))のとおり、昭和四七年分検察官主張にかかる株式売買益(現物取引)中に、山一証券(株)分番号25殖産住宅株一〇〇〇株の売付二三五万円が存在するが、それは被告人に帰属しない取引であるから、その分を右売買益から控除する必要がある。

そうすると右殖産住宅株については、譲渡原価として被告人の利益に、他の殖産住宅株の取得原価と同一に扱うこととし(株式現物取引損益調査書)、その結果、原価は一株当り七七二円五二銭、一〇〇〇株計七七万七五二〇円と算定されるので、譲渡価額二三三万四四七五円(諸費用を控除したもの、前同調査書参照)との差額一五五万六九五五円を控除することとした。

そうすると昭和四七年分の「雑所得」中の株式売買益として前示検察官の主張額六億九八五二万四〇九九円(現物)・△二〇九五万〇三六五円(信用)から右金額をそれぞれ控除したところ、同年分の株式現物売買益は七億〇一五一万二八〇七円、株式信用売買益は四六六七万九二六八円となる。その結果、同年分の検察官主張額をいずれも上回ることとなるが、当裁判所は訴因の拘束を受けることになるので、右検察官の主張額を上回る現物売買益二九八万八七〇八円、信用売買益六七六二万九六三三円については、いずれもこれを⑰⑱各「訴因調整金勘定2」(別紙2参照)としてこれを控除した。従って、結果として検察官の主張額である現物売買益六億九八五二万四〇九九円、信用売買益△二〇九五万〇三六五円と同額の金額を以て同年分の被告人に対する株式売買益にかかる「雑所得」と認めることとした。

(ハ) なお、昭和四七年二月一日までの小堀に帰属する取引によって取得された銘柄とその株価(単価)及び売却状況は、別表7のとおりである。

しかして同月二日以降右小堀の残株を売却しているが、それは叙上認定のとおり、被告人において小堀に対して株式取引資金として自己の預金を融通してやった結果生じた損害金に充当するために、これを全部一括して引取り、石橋をしてその売却を命じたものである(別表8)。

従って、損害金を充当させるという関係でこれをみれば、右小堀の所有に属していた銘柄の各取得価額の合計額をもって、同額の被告人の金員を費消したものとみるのが合理的であるから、各取得原価をもって被告人の株式売却分の譲渡原価を構成するものとした。

(二) 支払利息

なお叙上認定のとおり(第六、二)支払利息八二五〇万一三六八円については、右同額を⑯「訴因調整勘定1」(別紙2参照)とした。逋脱所得の算定に影響はない。

2  結論

以上によれば、被告人の昭和四七年分実際所得金額を算定すると六億六二二七万〇〇七五円となり(別紙2修正損益計算書)、結果として検察官の主張額と同額となる。

なお、検察官は昭和四七年分逋脱税額の計算に際し、「課税される所得金額」に対する税額を四億八〇三〇万五二五〇円と算定しているが、右計算の基礎となる所得税法(昭和四七年分施行のもの)第八九条によれば、右所得金額に対する税率及び同控除額は〇・七五を乗じた後に検察官主張に係る一二一八万七五〇〇円ではなくして、一二二八万四〇〇〇円を控除すべきものとされているので、従って、右差額九万六五〇〇円を差引いた四億八〇二〇万八七五〇円を基礎として逋脱税額を算出することとした。

そうすると昭和四七年分の源泉徴収税額控除後の納付すべき税額は四億六八六八万三七〇〇円となるので、申告額との差額四億五五二三万八六〇〇円を以って逋脱税額と認めた(別紙4税額計算書参照)。

(量刑の理由)

一  そもそも直接国税逋脱犯に対する処罰は、その基礎に「申告納税制度」の維持の存することに鑑みれば、一般に、右犯罪の情状を論ずるに当っては、特に逋脱にかかる不正手段の態様において、申告納税制度の根幹を否定する程の反社会性、反道徳性を帯び、一般国民の納税意欲(納税倫理)に著しい支障を生ぜしめる程の悪質性が認められ、かつ、犯行結果としての逋脱税額が著しく高額であるか否かを重視しなければならない。

二  かかる見地よりするときは、本件所得税逋脱犯の主要な不正手段とされた雑所得にかかる収入除外をみるに、その対象とされた収益が殆んど株式取引によってもたらされたものであることに、量刑上深甚の考慮を要するものというべきである。

すなわち、買集め、あるいは事業譲渡類似の如き特殊な場合を除き、本件の如く通常の有価証券の譲渡による所得は、所得税法上原則として非課税とされ、継続してこれを売買することによる所得として政令で定める場合に限り、例外として課税の対象とされるに過ぎないのである。

しかも、個人による株式取引が右にいう継続的売買に当るものとして、その収益が課税の対象となる場合でも、未だ以って、これを当該個人の「事業」と認めることは社会通念上著しく困難であり、その結果として、これらの収益は「雑所得」として課税されることになるのであるが、そうだとすると、「雑所得」と認定される限り、本件当時は、たとえ継続してこれを売買したことにより如何に損失を蒙ろうとも、損益通算、繰越し、繰戻し等の税法上、右損失の控除を認める規定は存しない。従って、一般に株式の継続的取引による損益に関しては、利益の生じた年分についてのみ一方的に課税されることとなるのであるが、証券市場において株式取引により利益を獲得すること自体が甚だ困難であるところから、偶々ある年分に限り利益を得、それが右継続的取引によってもたらされたものであっても、これを申告し納税に及ぶ者は殆んど無いのが実情であった。

しかるに、徴税当局においては、かかる実情に対し、何等行政上の処置に出ることなく、長年月に亘り、これを放置し、そのことによって生ずる不都合は、売買損益の如何に関わりなく別途特別徴収される有価証券取引税の強化によって租税負担の公平を図るため画一的課税によってこれを解消させようとする傾向が窺われたのである。

更に、右事情に加えて本件犯行当時においては、証券業界では、証券会社自身さえも、専らその売買手数料稼ぎにのみ狂奔し、顧客に回転商いを頻繁に勧める等し、従って、顧客はもとより証券会社の従業員であっても、個人の株式売買益に対する課税の問題については、その認識が稀薄であったことは否めない事実である。

かような事情の存在は、もとより被告人の刑責に直ちに消長を及ぼすものではないが、量刑に際しては看過することのできない点である。

三  右にもまして注目を要することは、昭和四七年分の逋脱所得額約六億円のうち、実に九割以上に当る約五億六〇〇〇万円に及ぶ株式取引による所得が、証券取引市場における売買によってではなく、個人間の相対売買によって得られたものであり、その対象となった株式が被告人において長期間保有して来た非上場株式である殖産住宅株であった点である。すなわち、被告人は昭和二七年上京し、戸栗工務店を開業し殖産住宅(株)の下請業者となり、更に、被告人が自ら経営する(株)富士工務店を設立後も引続き殖産住宅(株)の下請企業として長年同社と運命を共にし、その栄枯盛衰を一蓮託生にかけ、被告人としては、かかる関係にある親会社の殖産住宅株を事業の発展につれて長年に亘ってこれを買増し、長期間保有していたものであって、それは、まさに被告人、弁護人も強調する如く、いわゆる「資産株」であったものといえよう。

四  叙上のとおり有価証券の譲渡による所得のうち、継続的売買による所得についてのみ例外として課税の対象とされる所以は、多数回、大量に及ぶ株式取引の反覆が主として投機を目的とするものと考えられ、従って、証券市場の健全な育成と企業に対する資本蓄積に資せんとする目的に悖ることとされたためであることに鑑みれば、長期保有株式を売却した場合の如く、明らかに投機を目的としない取引については、現行法の解釈としては何等除外規定が置かれていないから、これを継続的取引の回数、株数に含めないとすることは認められないが、少なくとも量刑に際しては右のような法立法の趣旨を考慮に容れるのが相当である。

けだし、沿革上、かつては徴税当局も、六ヶ月を超えて保有し名義書換済の株式については、課税要件とされていた継続的売買の回数、株数に含めない取扱いをしていた時期も存したのであり(前記第二の二参照)、また、現行法の下においても、令第二六条第三項が株式の公開の方法により行なう株式の譲渡や、新規上場株式における一定割合の保有株式の売買につき、課税要件としての継続的取引である売買回数や株数に含まないことを定めているのは、右のような特殊の場合に法が限定してのことではあるが、その趣旨は、長期保有株式、就中、いわゆる創業者利益に対する課税面での配慮の表われともいい得るし、しかも、本件株式が前示のとおり、下請企業経営者にかかる親会社の非上場株式の長期間保有されたものであるという特殊性を考慮するとき、右の趣旨を全く考慮の埓外に置くことは相当でない。また、租税特別措置法の如き特別法による場合ならばいざ知らず、本来、担税力を基礎として所得に課税する所得税法の建前からするならば、株式の現物取引による「カイ」のみでは、たとえ当該株式がその後値上りしたとしても、「ウリ」のない限り、キャピタルゲイン(値上り益)は実現しないにもかかわらず、右「カイ」注文の回数、株数も独立して課税要件たる継続的売買取引の回数、株数に含まれているのであって、このことは「年中における取引」と結び付くことによって、「近い将来における「ウリ」を予定した「カイ」」、すなわち、一年内における頻繁な「ウリ」、「カイ」という短期の投機的取引を主要な場合として想定しているものということもできよう。

これ迄述べたような、継続的売買による譲渡益を非課税所得の例外とした本来の趣旨に鑑みるときは、売買の対象となった株式が投資目的での長期間保有せられたものか、それとも投機目的で短期間の保有にとどまったかという点については量刑上充分に参酌する必要がある。

ことに、一年を超えて長期間保有を続けて来たいわゆる資産株については、過去の年分における「カイ」に際し、当該年中において既に継続的売買の要件である五〇回、かつ、二〇万株の範囲内であるか否かの評価を一旦は受けていることになるのである。また、長期間保有していたため、その売却に際し多額のキャピタルゲイン(値上り益)の実現をみたが、偶々、同一年分において、証券市場で五〇回、かつ、二〇万株以上の取引を行ない、そのことによっては僅かな利益しか挙げ得ず、あるいは却って損失を蒙っているような場合であっても、全体としての株式取引による所得が課税対象となるため、多額の所得があったものとされることとなるが、このような場合、売買の対象となった長期保有にかかる株式につき、これを情状面において一切顧慮することなく、単に逋脱金額の大きさのみで量刑を論ずるが如きは、前示のように、本件当時における証券業界等における実情を併せ考えれば、却って衡平の観念に欠ける憾なしとしないであろう。

このようにみてくれば、昭和四七年分における売買益の殆んどが被告人において長期間保有して来た殖産住宅株の相対売買による売却によって生じたものである点は、本件の特殊な情状として被告人に有利にこれを斟酌すべきである。

五  本件は訴追された逋脱金額が著しく巨額に上ったため、公訴提起の当時から社会の耳目を聳動させた事案であり、当裁判所の認定した逋脱金額はその一部であるとはいえ、なお高額となっている。

しかし、叙上縷説の如く、本件逋脱所得はその殆んどが本来非課税を原則とする株式の売買益によって占められており、本件当時は例外的課税対象となる継続的売買による所得についての納税者や証券業界の意識も一般に低く、これに対する徴税当局の対応もやや緩やかであったこと、しかも、右株式売買益の大半は、昭和四七年分における長期保有株式である殖産住宅株の、それも証券市場を通じての商いではない相対売買による売却によって生じたものであって主として投機を目的としたものではないことの諸点は、本件逋脱所得の内容を構成する所得の特殊性として量刑上被告人に有利に斟酌すべきであり、徒らに逋脱金額の高額なことにのみ目を奪われて「申告納税制度」の根幹に触れる悪質な事案であると軽々に速断するのは相当でない。

以上のような諸点に、被告人は、その後本件に対する課税処分に対して徴税当局に納税担保を提供する等し、経理にも改善の跡が窺われ、本件につき悔悟反省し再犯の虞れもないと認められること等、諸般の事情を総合し、主文掲記のとおり、懲役刑については暫らくその執行を猶予するのを相当と認め、併科罰金刑についても叙上の情状を反映させることとした次第である。

(法令の適用)

一  罰条と刑種の選択

判示各所為 行為時において昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の所得税法第二三八条第一項(判示第二の所為については、さらに同条第二項)、裁判時において改正後の所得税法第二三八条第一項(判示第二の所為についてはさらに同条第二項)、(刑法第六条、第一〇条により軽い行為時法の刑を適用し、いずれも懲役刑と罰金刑を併科)

二  併合罪の処理

刑法第四五条前段、懲役刑につき同法第四七条本文、第一〇条(犯情重いと認める判示第二の罪の刑に法定の加重)、罰金刑につき同法第四八条第二項

三  労役場留置

刑法第一八条

四  刑の執行猶予

懲役刑につき刑法第二五条第一項

五  訴訟費用

刑事訴訟法第一八一条第一項本文(証人小堀亘、同石橋昇、同坂場正信、同川上日貞雄こと崔基南、同新井廣八、同上原敏弥、同鈴木正己、同和田啓一、同畔田達男、同前田立雄に支給した分)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 松澤智 裁判官 井上弘通)

〈以下省略〉

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